4月17日に開催されるブルーノート東京公演に向けた準備中、偶然にも32年前の1993年4月11、12日と開催されたパルコ劇場でのコンサートの記録映像を発見しました! 当時、TV の連ドラの録画でコンサートの映像が録画されているビデオをうっかり消してしまったのです。これを持っていたのは私だけだったので当時も今も本当に悔やまれます。が、なんと今回発見されたのは4月12日の後半部からの映像でした。当時観た記憶がなかったのでびっくりです!
映像には4月17日に開催されるブルーノート東京公演の参加メンバーから、大野由美子、小川千果、椎名謙介、高木完、田村玄一さん等の32年前のお姿もご覧いただけます。
当時このコンサートに参加された方、是非4月17日のブルーノート東京公演で再会 しましょう!!!
ヤン富田
コンサートから1年後の春、コンサート会場でアンケートにお応え下さった方に郵送されたCD。
受け取った方は突然送られて来てびっくりしたと思います。
CDには佐俣正人さんによるテキストが掲載されています。
未確認飛行音楽 / Unidentified Flying Music
佐俣正人
スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』には、未知との予期せぬ出会いを通して、進歩して行く人間の姿がベリーロマンティックに描かれていた。
ある夜、アイスクリームの形をした謎の光る物体を偶然目撃したリチャード・ドレイファス扮する主人公は、それ以来、何かに取り憑かれたように人が変わってしまう。夕食中、お皿の上に盛られたポテトサラダをながめていると、突然、創作意欲に襲われ、塔のような不思議なオブジェを一心不乱に作りはじめ、家族を驚かせたりするのだ。なぜ、そうしてしまうのか自分でもわからない。が、そうせずにはいられないのだ。まるで彫刻家のように、シェーヴィングクリームで、粘土で、不思議な塔をくり返し制作する。謎の塔は、彼をひどく困惑させた。が、同時に、得もいわれぬ幸福な気持ちにさせるのだった..... 。
1993年4月11日夕。
開演してまもなく、観客は ”いつも” とちがう雰囲気を感じとり、静かなパニックにおちいった。
”わたしたち人類の未来と、この宇宙における役割とはいったい何か?”
もしこんな、普段考えたこともないような質問を突然投げかけられたら、あなたは?
この夜、集まった人びとがおちいった状態とは、そんなたぐいのパニックだったかもしれない。
この夜、コンサート序盤に演奏されたナンバーは、日常生活を甘く包み込んでくれたり、ほどよく刺激してくれる ”いつも” の音楽ではなかった。かといって、知的に分析して理解するための音楽でもない。それは、感情の奥深い場所をマッサージし、共感を呼び醒ます、ドレイファスの不思議の塔を想わせる電子音楽だった。
ライブの序盤は、そのことに、ある種の恐怖感とコンプレックス、それから極度の緊張を感じるばかりで、ぼくら観客は、まるで金縛りにかかったようだった。
これがポップ・ミュージックのコンサート? ザッツ・ライト! けれど、観客は、まるで講義やテストでも受けている学生みたいだった(科目は、電子工学それともアシッド?)。
そんな奇妙なムードを一向に気にすることもなく、マイペースを貫いている人物が会場にいた。ヤン富田だ。
この夜、彼は(すばらしい偶然)を何度となく導きだした。
クラシカルなピアノの旋律が、偶然にも受信されたのは、”Luna for Electronics & Live Concrete Sounds” だった。ピアノは、あらかじめ用意しておいたテープの再生ではない。曲の途中、どこかのラジオ局がたまたま放送していた音楽を、ヤン富田が、カットアップしたものだ。
そのために、ノイズがちで音質も明らかに低下しているが、問題はなかった。それどころか、Lo-Fi なピアノの旋律は、一流のアレンジャーが考えに考え尽くしても果たして得られるかどうか疑わしいほど、曲と奇跡的に溶け合った。 “Luna...... “ は、この幸福なアクシデントで、文字通り、ルナティックなナンバーに完成した。
(ヤン富田は、この種の偶然を <Inevitable Chance=必然性のある偶然> と名づけ、音楽の大切な要素の一つだと考えている。)
“Synthesized For ARP 2600 & EMS Synthi A” は、チャック・ベリーやバディー・ホリーのそれとは遠くかけ離れたスタイルにもかかわらず、まぎれもなく “ロックン・ロール” だった(なぜそう感じたのか? うまく表現できないのがもどかしくてたまらない!)
20世紀がもうすぐ終わりを告げようとしている現在でも、ライブには可能性が十分残されている! 初日と2日目、いずれの演奏もアルバムに記録された”Live Cut Up - Radio Music For Inevitable Chance” は、そのことを証明した。(ラジオほど、ライブでスリリングな楽器もない。なにしろ、何を奏でるのか、チューニングするまで毎度ドキドキものだから!)
初日のテイクでは、荘厳なオペラや、J-WAVEのジングル、午後10時を告げる時報とともに、あの城達也のナレーションが受信された(BGMには、エキゾチック・ムードたっぷりなエルヴィス・プレスリーの “Blue Hawaii” が流れていた)。
“今月から、よりファンタジックなイメージの世界へ、新たなるフライトをはじめました ...”
また、以下のようなナレーションも。
“旅の途中で遭遇する不思議で不可思議なものがたり ..... “
なんて暗示的なフレーズだろう。
(2日目には、”引用の一節は、その主節の会話の部分ですが… “ という、この曲のコンセプトを解説する語りまでが受信された!)
観客は、テストをパスしたようだ!
リラックスしてきたのか? 今まで一度も感じたことのない何かを感じとったのか?
コンサートの前半と後半では、観客の感覚や常識の基準は、明らかに違ったものになっていた。
とりわけ象徴的だったのは、コンサートの最後を飾ったジョン・ケージの “4:33” のカヴァーに対するリアクションだった。この曲のコンセプトは、限られた時間枠を設定し、その間、聞こえてくる音を音楽として聴こうというもので、ステージ上のミュージシャンは一切の音を出さない。あの晩、ストップウォッチを手にしたヤン富田は、0:33秒のショート・ヴァージョンでこの曲を終えた。その時の観客の反応といったら、とてつもなくおかしなものだった。
エンディングと同時に、会場から、拍手が湧き起こったのだ!
サイレントの曲に感激したのか? すっかりアシッドヘッドになってしまったのか?
それとも?
ぼく自身も相当ストレンジな気分になっていた。
ショートヴァージョンに腹を立て、”14:33” のロング・ヴァージョンにすべきだとブーイングしたい気分になっていたのだ。今思うと、なぜそんなことを思い立ったのか、不思議でならない。だって、ぼくはその時、14分にも及ぶサイレントを聴きたいとベリー真剣に考えていたのだから! そして、もっとアンビリーバブルなことに、そんな自分を、心の底から楽しんでいたのだ!
コンサートのクライマックスに演奏された “C-YA! ~ Memories Of Tape Recorder” では、安堵と興奮と至福がごちゃ混ぜになった “ベリーな感情” に、ぼくは満たされた。不思議な塔に導かれて、ついに巨大なマザーシップと遭遇したあの一瞬、ドレイファスはきっとこんな気持ちだったのではないだろうか?
この夜、コンサートでは、アルバムに収録されなかった “Beyond The Blue Star Zone”、”We Travel The Spaceways” など [Music For Astro Age] からの楽曲を始め、”Over The Rainbow”、それからスティール・ドラムの独創など、全15曲が演奏された。
幕が下りると、時計は、午後の10時40分を示していた。ライブの所要時間は、何と3時間40分だった。アルバムの所要時間のほぼ3倍、あの「風とともに去りぬ」の上映時間と同じ長さだった(これは、観賞を目的とするエンターテイメントが、3時間40分までなら十分楽しめることを意味している)。
が、この夜、起きた出来事は、これだけではなかった。
じつは、第一部の幕が上がる50分前、午後の6時10分から、この夜のコンサートはすでに始まっていた?! (少なくともぼくにとってはそうだ)。
開演前、会場には、Audio Science lab.制作のレア・トラックが、50分間たっぷりと流されていたのだ。知人への挨拶や飲み物の補給、トイレ等、すべてキャンセルして、ぼくは、BGMに集中した。
その中には、ボブ・ディランをベースにしたエレクトロニクス・ナンバーも含まれていた。強烈なループだ。開演を待つまでもなく、ぼくは、いきなりベリーハイ!な状態になった。路上にてなディランの “Like A Rolling Stone” を、一気に、無重力空間へほうり上げるなんて! スペース・ビートニク!!!
“…… 宇宙でもっとも恐ろしいのは、そこが敵意に満ちた場所ではなく、人間などに徹底して無関心だという事実だ。しかしわれわれは死という枷の範囲内で、この無関心さに立ち向かい、種としての意義と充足を見いだすべきだ。暗黒がいかに広大であろうと、われわれはそこに光を投げかけるべきだろう……”
『2001年宇宙の旅』の完成直後、プレイボーイ誌のインタビューで、キューブリックはこう語った。
果たして、ヤン富田の投げかけた光は、宇宙の暗黒を、ぼくらの内部を覆い尽くそうとしている暗黒を照らしだすことができただろうか?
08/03/1994
今よりもお肉でぽっちゃりしてました。アハハ
VIDEO
A.K.I. ( A.K.I.PRODUCTIONS )
「 当時、好きだった女の子を誘ったら、あっさり断られ笑 」
ヤン富田さんの演奏に初めて生で触れたのは、確か、1986年の2月に、築地・本願寺の第二伝道会館で行われたジョン・ルーリー率いるラウンジ・リザーズのオープニング・アクトとして登場した、ブラスター・ビート・ボーイズ a.k.a.. いとうせいこうと業界くん物語バンド、だったと思います。表記などは、記憶のみを頼りに書いているので、正確なものではないと思われます。ネット上の表記すら信用出来ない昔のことです。自分は、当時、中学3年生だったはずです。
メンバーは、バンマス、マスターマインドのヤンさんを筆頭に、高木完さん、藤原ヒロシさん、K.U.D.Oこと工藤昌之さん、屋敷豪太さん、PAで DUB MASTER Xさん、そして、勿論、いとうせいこうさん、という、凄いメンバーが勢揃いでした! JBのお皿を使ってギャグするHIPHOPは、日本ならでは、というか、ヤンさんならでは、の感じで、JAMES BROWNのショーの名司会者・ダニー・レイの「ジェェ~ムズ」の掛け声をターンテーブルから出してすぐに止め、いとうさんが、「三木です! 『澪つくし』(注・当時のNHK連続小説ドラマ/ジェームス三木作) 書いてまぁ~すっ!」と言ってオトす、という会場大爆笑の一幕は、今でも忘れられません!
当時は、それを腹を抱えて笑っているだけの中3男子の自分でしたが、現在考えると、その「当たり前」のように発せられたギャグも、決して「当たり前」ではなかった、すごいブレイクスルーだった、と今では分かります。でも、単に腹を抱えて笑っていただけ、だからこそ、ヤンさんに深く植え付けられてしまったものがあったのも確か、です。ヤンさんの、OBERHEIMのシンセなど、たくさんの機材を持ち込んでの演奏も、全く「普通」ではないことに、気付いていくのですが、ヤンさんは、ニコニコとして「当たり前」のように演奏されていて、一見、リラックスした環境の中で、とんでもない(マクルーハンの言う)反環境に触れている、という、全く油断のならない「ACID TEST」を、もう、その時点で自分は、受けていたのだと思います!
その後も、ヤンさんが音楽監督を務められた、いとうせいこうさんのライヴに通い、でも、真面目な高校生だった自分は、いとうせいこう、MUTE BEAT、ヤン富田グループが対バンした『STRONG SOLID』という、2回行われたライヴは、「学校のテスト期間」と重なってしまい、泣く泣く見逃し、ヤン富田グループのライヴを初めて拝見したのは、88年にインクスティック芝浦ファクトリーでのワンマン・ライヴでした。それこそ、大学受験を控えていた頃だったのですが、どうにも我慢出来ず、会場に駆けつけました。
当時のいとうさんのライヴでは、ある時は、PARLIAMENTの「Flash Light」のサンプルと、「東京ブロンクス」のライヴ・ヴァージョンの「生のラップで踊ろうぜ!」の声ネタをサンプラーで重ねて、いとうさんの登場を煽ったり、 またある時は、ヤンさんがヴォコーダーで、「MAC THE SEIKOH ROCK THE HOUSE!」と煽りながら、後にDOOPEESの「AIR VIBES」でも使われたメロディーを奏でたり、など、色々と印象深い演奏がありましたが、初めて触れた、ヤン富田グループの演奏は、またその感じとも違い、かといって、いとうさんのライヴでも毎回、ヤンさんは、新基軸の連続で、今も昔も、どの会場でのどんな形態のライヴも、ヤンさんのおっしゃる、f-r-e-s-h!!!の連続でした!
しかし、今回公開された、パルコ劇場でのライヴは、1曲毎に前提が変わっていく、という、しかも、CDの中で、ではなく、生で! という衝撃で、2日間通った自分は、思わず、2日目の会場で、このコンサートを主催された、当時のキングコブラの井出靖さんに、改まって「井出さん、こんなに素敵なコンサートをありがとうございます!」とお伝えしたら、笑って、そんな硬くならないで! と、いった感じで、こちらこそ、ありがとう! と、微笑んでいただいたのを覚えています!
この日のチケットは、まだネットもなく、「チケットぴあ」の店舗があった頃だったので、電話予約より、人の少なそうな土地の店舗で、直に買う方が良い席が取れる、という噂を聞いて、人があまり居なそうな「銀座一丁目店 」という、ちょっと銀座から離れた微妙な立地条件の店舗に買いに行ったら、人気のあるコンサートがたくさんあったはずの発売日だったのに、誰も並んでいなくて、目論見通り、かなり前の方の席が取れて、大喜びしたことを、昨日のことのように覚えています!
(本番前、舞台袖のどんちょうの隙間から客席を眺めたら、最前列はA.K.I. を除いて美人ばかりずらりと並んでいて/有名なモデルも、それを観て驚いた!それをヤンズ・エンジェルと命名しました。高木完 談)
当時、好きだった女の子を誘ったら、あっさり断られ笑、次に、やはり当時、一緒に、A.K.I.PRODUCTIONSをやっていた、ILLICIT TUBOIくんを誘ったら、ちょうど我々のファースト・アルバム『JAPANESE PSYCHO』のトラック作りが忙しくて! なんてエピソードを思い出しました笑。 結局、初日は、加藤賢祟さんと(!)、二日目は、当時お世話になっていた、編集者の草間和子さんと観に行きました!
アルバム『JAPANESE PSYCHO』を、一緒にプロデュースしてくださったECDさんも初日にお越しになっていて(なんて「敬語」で書いたら、あの世でECDが、ヘン、な感じがして、笑ってるかも、だけど笑)、川勝正幸さんや岡崎京子さんは2日間皆勤で、動画で、名前が出てくるチエコ・ビューティーさんとかみんなで帰りにご飯食べて、「ヤンさん凄いね~!」って盛り上がったのでした!
当日、驚きの再会もありました。僕と同じ高校の1年先輩の方が二人もお越しになられていて、僕は大学卒業したてで、まず一人の先輩は、植松豊さんで、その後、レコーディング・エンジニアとして大成されて、随分と時を経た頃、『サンレコ』で、DUB MASTER X先輩を彷彿とさせるかのような重鎮の貫禄で取材を受けてらして、ビックリ! なんてことがありました!
そして、さらに時を経て、TWITTERのトレンドにお名前が出てらして、クリックしたら、なんと訃報、、 · ENDLICHERI☆ENDLICHERI(当時)のエンジニアとして、さらに大成されていたことを知り、驚きました! ヤンさんの影響下にある、あの植松さんがFUNKを!
植松さんとは高校の放送部の先輩後輩で、僕が高2、植松さんが高3の時、学園祭で、教室を借りて、DJブースを作り、2人で、2枚使いしまくりで盛り上がり、2DJスタイルで、 「TERMINATOR TROOPSごっこ」をした仲で笑、その半年前に知り合ったECDが教室に遊びに来て、ダンスホールものの7インチをかけて「ピコキュリー」をやってくれたのも良い思い出です!
もう一人の先輩が、その教室でDJをしていた時に、遊びに来てくださって、初対面でDJを褒めてくださったナガシマさんで、ナガシマさんが帰られた後、植松さんに、同級生の方ですか? と、お訊きしたら、いや、初対面だけど、、笑、と、いうことで、HIPHOPを通して、何故か、出会ってしまった3人が、数年後、ヤンさんのライヴで、申し合わせたかのように再会! という、エモい(当時はなかった言葉!)展開だったのでした!
その後、A.D.S、スマーフ男組のコンピューマ、こと、松永耕一さんと知り合うことになって、実は、松永さんのバイト仲間で、一緒に『MESS/AGE』の元ネタのレコードを探していたのが、ナガシマさんだと判明! 全く世の中は、狭い!
ヤンさんのライヴには、あの人もこの人も観に来ていて、例えば、後に「今夜はブギーバッグ」を作る、小沢健二さんとスチャダラパーのみんな(確か3人とも来てたと思います!)や、その後、ヤンさんのプロデュースで音源を作ることになる渡辺満里奈さん、当時、ビブラストーンだったOTOさんや、イラストレーターの八木康夫さん、後に知ったパードン木村さんはこのコンサートを観てミュージシャンを志しその友人のDJ.QUIETSTROMも、みんな揃って「ACID TEST」を受けていたのでした!
そう、そして、小沢くんとSDPといえば、そのマブダチで、「今夜はブギーバッグ」のMUSIC VIDEOを、川勝さんと共同で監督したタケイグッドマンさん(そして、勿論、タケイくん単独での監督作品は、小沢くんソロ、SDP、脱線3から、果ては、BEASTIE BOYS、郷ひろみさんのMVまで多岐にわたる!)も来ていて、彼は、当日、アンケートにも答え、ちょうど1年後の春、くだんのライヴCDが送られてきて感動! タケイくんに(恥ずかしながら当時「業界くん気取り」でアンケートに気づかなかった自分に恥入りつつ!)「当時、どうしてアンケートに答えたの?」 と、訊いたら「雷に打たれたように、物凄く感動したから! その頃、ライヴ会場で配られたアンケートに答えたのは、ヤンさんとラジカル・ガジベリビンバ・システムだけ!笑。後に、ヤンさんと面識を得た時、お訊きしたら、ヤンさんは、アンケートに全部目を通されて、CDを送ったんだ、と、おっしゃってらしたから、とても嬉しかった! 当時、本当に熱心に熱い思いを書いたのをよく覚えているから! CDは、一緒に行ったスチャダラパーと、本当に謎のCD、として熱心に聴いてたよ!でも、その後、ヤンさんにお目にかかって、直にそのことをお伝えした時、何かが完成した気がした! アートが、かな笑」とのこと! タケイくんは、パルコ劇場でのライヴから遥か時を経て、2008年リリースのDVD『YANN TOMITA’S “SUMMER WORKSHOP”』の制作に参加し、撮影:タケイ・グッドマンとその仲間 とクレジットされることになるわけだけれども、そんな素敵な展開は、当時の彼は知る由もなかったはず! これもまた、ヤンさんのおっしゃる、必然性のある偶然の、絶好のサンプルかな!
亡くなられてしまった方も、多いけれども、チエコ・ビューティーとは少し前のヤンさんのライヴで再会出来て、ヤンさんのライヴを楽しんだポストをXでしていて、それも嬉しかった!
岡崎京子さんは、交通事故に遭われたけれども、岡崎さんの回顧展があった時とか、(当時と変わらぬ!)可愛らしいとぼけたコメントを出されて、クスっとさせられてしまったし、TSUBOIくんも今だバリバリだし笑、何よりヤンさんが、21世紀に入ってからのライヴで、毎回、F-r-e-s-h!!! を、届けて下さっていることに、そのことがとても嬉しいです!!!
パルコ劇場で、終演後、みんなでだべっていて、帰りのエレベーターを待っていたら、ヤンさんが、(普通だったら若いローディーさんに任せたりするはずなのに!)、機材をたくさん抱えて、一緒のエレベーターに並ばれて、川勝さんが(確か!)ヤンさんに、岡崎さんを紹介されている場面が今も忘れられません!
岡崎さんは、毎回新刊を出される度に、当時としては驚くような装丁で、単行本を出されていて(まだ漫画の単行本の装丁は、出版社のレーベル?から規定通りで出版されることが多かった!)、ある時ヤンさんが、「中身で勝負する奴は、外見(そとみ)でも勝負をかけてくるんだよ」とおっしゃったとき、真っ先に思い出したのが、岡崎さんのことだったことも自分の中で強く印象に残っている記憶です。
この動画を拝見して、恥ずかしいような甘酸っぱい若い頃の記憶も沢山思い出して、じんと来ていましたが、その一方で、分からなくても、覚えていなくてもいいから、気になるものを観ておくと、いずれ、それなしには、後々気がつくことさえ出来なかったようなことに、近づける、f-r-e-s-h!!! に遭遇出来る、自分で体験したり、経験したり出来る、種まき、になっている! と、いうのが大きな発見でした!
ヤンさんは、CDのリリースが、主軸だった90年代以上に、21世紀を過ぎてから、ずっと、主にライヴを通して、後で効いてくる、問い、を投げかけて下さっていることに、改めて気が付きました!
ヤンさんは、たくさんの素晴らしい思い出をくださったけれども、それ以上に、今現在、そして、未来へのワクワクを、ずっと、問い、というカタチで届けてくださっているのです!やってはいけない、と思い込んでいたけれども、よく考えたら、やっても良い、と、気がつき、確信犯で、リラックスして、それ、をやる、その結果生まれる、新しい現実!(それも笑える!)。
僕は、1985年『業界くん物語』の頃から、ずっと、ヤンさんの、問い、のおかげで、勇気づけられております! 過去の動画、で、さえ、そうなのです!(現在のテクノロジーで、奇跡的に見つかった映像が、このタイミングで、再び、世に出る、この、必然性のある偶然!)。
04/04/2025
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両日のチケットとコンサート会場で配布されたプログラム。 史料提供:COMPUMA aka 松永耕一
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COMPUMA aka 松永耕一
「当日は、ドキドキ&ワクワクで」
1 993年4月11日12日、渋谷パルコ劇場「YANN TOMITA / MUSIC OF ASTRO AGE CONCERT」での二日間の音楽時間は、自分にとってかけがえのない大きな音楽体験となっています。
1980年代後半から90年代初頭にかけて、レンタルレコード店のバイトからレコード店WAVEへと入社する中で、様々な音楽と出会いました。
ヒップホップやハウス、ダンスミュージック的なサンプリングやカットアップ、コラージュ的な音楽、それらの楽しみ方を知り、PUBLIC ENEMY、DE LA SOUL、JUNGLE BROTHERS、そして、KLF「CHILL OUT」「SPACE」、THE ORB 、、、。
それは20代半ばにDJを始めてすぐの頃、ADSのメンバーとも出会う前の頃です。 WAVE LOFT店へ入りたてで、多感だった時期でもあり、リスナーとしてもレコードショップ店員としても、フレッシュな音楽との出会いを求めて、音楽に囲まれた生活をひたすら謳歌する日々が続いてました。
新たな価値観や視点を提案する音楽作品、ヒップホップ的感覚を通過した新しい音楽が続々と登場する時代でもあったのです。
その頃に、とにかく仲間内、皆で衝撃をうけていたのが、1989年にリリースされていた、いとうせいこう/ヤン富田 の「MESS/AGE」の存在でした。(エンジニアにはDUB MASTER X) この作品から喰らった音世界から、ここで使用されているネタ探しに夢中になる日々が始まりました。まだインターネットもありませんので、クレジットや臭覚のみで探す日々です。当時の仲間達との情報交換やレコード屋巡りで探索が続く毎日でした。今となって思うのは、そんな流れからの勢いでWAVEヘ入社したいという思いも自分の中で生まれたのかもしれません。そして、忘れてはいけない、1990年代初頭に東芝よりリリースされたMARTIN DENNYの2つのベスト盤CDの存在。
その後、なんとかWAVEに入って渋谷LOFT店へ。1992年にリリースされた、ヤン富田「MUSIC FOR ASTRO AGE」発売!!!バイヤーとしてはアシスタント修行時代で、先輩や同僚たちによる売り場での展開を横目に、気持ちだけが急っていた事を恥ずかしながら思い出します。
レアグルーヴ経由からスピリチュアルジャズやフリージャズとの出会い、SUN RAの存在、ムードミュージック、ラウンジミュージックからエキゾチックサウンズ、ムーグものから電子音楽、実験音楽アヴァンギャルド、フルクサス、ターンテーブル・コラージュ、CHRISTIAN MARCLAYの存在などなど、、、自分にとっては興味はあるものの、まだまだ未知の世界でもあった電子音楽や実験音楽、SUN RAの音楽世界への入り口、扉が開いた時期でした。
とはいえ、これらの音楽と出会うきっかけをいただいたのはヤン富田さんです。1990年代初頭、いちリスナーにとってその存在は当時のシーンのフィクサー的存在でありながらも、謎のヴェールに包まれていた印象でした。ライブも数年に一回やられるくらいで、見かけることすらなく、フリーペーパーや雑誌、本などでの記事での発言や選盤などを通して妄想を膨らませる日々が続いておりました。
そんな時期での1992年ソロデビューアルバム「MUSIC FOR ASTRO AGE」リリースからの1993年、パルコ劇場でのコンサート「YANN TOMITA / MUSIC OF ASTRO AGE CONCERT」は、まさに念願超待望でのヤン富田さんを初体験できる絶好の機会でもありました。
当然ながら両日、二日間ともにチケットを予約購入することができて、当日は、ドキドキ&ワクワクで、当時のレンタルレコード店のバイト仲間、永島君達と会場へ向かったことを思い出します。
永島君は、レンタルレコード店バイト時代の先輩にあたり、知識はもちろん、豊かな視点やセンス含めて色々な音楽の魅力を教えていただいた、当時の自分にとって非常に重要な人物で、一緒にチェック・ユア・マイクなどのコンテストへ応募したり(残念ながらテープ審査で落選しておりましたが、笑)、当時i-D JAPAN誌上での「オタクDJの冒険」という選曲ミックステープ・コンテストへ彼が応募して賞をもらったりしたことも懐かしく思います。(実は、後にADS/スマーフ男組でご一緒することになるマジアレこと村松誉啓さんは90年代当時I-D JAPAN誌の編集者の一人で、このコーナーの担当者だったこともあり、永島君が賞をとったことから、彼が村松さんとやりとりをしたことがきっかけとなり、自分も村松さんの存在をより知ることになりました。)
開演前にBGM として流れていた、AUDIO SCIENCE LAB’S RARE TRACKS 1989-91では、BOB DYLANのあの曲に衝撃を受けてぶっ飛ばされた事、開演後、ステージ上で繰り広げられた音楽世界はもちろんのこと、本人によるスティールドラムのトークを交えながらの紹介、スティールバンド ASTRO AGE STEEL ORCHESTRAによる演奏、「MUSIC FOR ASTRO AGE」にも収録されていた、ROTARY CONNECTIONの「MEMORY BAND」、2001年宇宙の旅!一気に宇宙空間へ、スパークするEMS SYNTHI A & AKSと生ドラム、ラジオ・ミュージック・ライブバージョン! 必然性のある偶然!? ライブ・エレクトロニクスによるC-YA!に号泣。虹の彼方に、4分33秒ショートバージョン!!あの二日間の興奮が昨日のことのように甦ります。
入り口でいただいたセットリストとステージを交互に睨めっこしながら、ところ狭しとステージに並べられた様々な種類のスティールドラムや数多くの電子機器、シンセサイザー、オシレーター、テープレコーダーなど機材たちを食い入るように見て、一緒に行った友人たちとあーだこーだ言い合いながら、頭の中に一生懸命に刷り込んだ記憶がモーレツに甦ります。
この二日間の音楽体験から32年を経て、あらためて考えてみても、自分の中ではいまだ色褪せないフォーエバーな音楽体験の記憶、きっかけとなっていることを再確認しております。
今回、当時のことを思いながら原稿を書かせていただき、このような形で参加できることは、当時の自分に伝えたい気持ちでいっぱいです。
07/04/2025
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仲田舞衣
「汽笛とラジオとスティールパン・ヤン富田さんと私」
ここ最近、「具体と抽象」についてぼんやり考えることがありました。たとえば、美術館や博物館、クラブ(音楽の方の)、ホール、寺社などアートにまつわる場所、モノ、コトに触れているときだけに限らず、(説明は難しいのですが)年度末の慌ただしい日常のなかで、抽象的な事象に対峙することがたまたま多かったからかもしれません。
ただ、明確に考えるシチュエーションが訪れたのは、3月22日(後で知ったことですが、その日は一粒万倍日で寅の日のダブル開運日というやけにラッキーな日でした)。大田区のお寺で行われた画家の下條ユリさんのワークショップに参加した際のことでした。ユリさん曰く「電話しながら描いちゃった“らくがき”みたいに、無意識を解放して自分の中の宇宙を覗いてみることを楽しんで~」とのこと。
お天気がよくぽかぽかしていて、風が気持ちいいな~春だな~と、久しぶりに握る絵筆を気持ちよく滑らせていたのですが、一定のリズムで引いた風は、途中からなんとなく海の中の景色のようにも見えてきて、ついスイミー(作レオ=レオニ、訳谷川俊太郎の。絵本のあの『スイミー』です)を描き足していました。
黒一匹、赤三匹の小さな魚を描いたところで…やっちまった。これ、完全に蛇足だったかも。記憶スケッチアカデミー(©️ ナンシー関)でスイミー描いたつもりだったけど、なんか形も違う気がするし、どうせ描くならスマホで検索してちゃんと実物を見てからにすればよかった。無意識、怖っ。いや、でもスイミー好きだもんな…。見ようによっては絵本風ではあるし、かわいいじゃないか。童心に帰ったんだよ。とかなんとか、自分を納得させようとしている自分に、ちょっと笑ってしまいました。
帰りはそこで出会った新しいお友達と、行ってみたかった老舗洋食店でハヤシライスを食べ、結果的にハッピーな1日であり、具体のインパクトの強さに改めて気づいた日でもありました。
その数日後、今度は思いがけない幸運でヤンさんの生演奏を間近で聴く機会がありました。これまでも原美術館やブルーノートの控え室で、大野さんやスージーさんと歌合せをする場面に遭遇して秘かに感激することはありましたが、この日は初対面の人を含む、ある種の緊張感があるシチュエーションでした。
ギターを弾きながら、おもむろに首から下げた創作楽器(後日、入手方法からして激レアな逸品であることを伺い、唸ったのはいうまでもなく)を操るヤンさんに、その場にいる人は皆、最初は呆気にとられ、しかしすぐに釘づけになり、そしてとんでもなく贅沢な空間にいることに酔いしれていました。
数分の出来事が、永遠に感じるような…それはいつものヤンさんの音楽でした。でも、私はそこでも奏でられた音色の具体的な意味を知りたいと思ってしまった。そして好奇心を抑えきれず、後日「あれはもしかしてこういう意味ですか?」と聞いてしまっていました。
ヤンさん曰く。
「オレはそんなことなんっにも考えてないから。もし考えてても、それ言ったらダサいじゃん。アハハ」
スイミーを描き足し、画面に何かしらの意味を見いだそうとする。分からないことを恐れなにかに納得したいと願う自分に『なんてつまんない人間だ』と凹みつつ、でもそんな“普通”な自分にも安堵するというアンビバレントな感情。
それに気がついたとき、宇宙と共鳴する音を生み出す孤高の天才、ヤン富田の永遠の孤独――に思わず背筋が伸びました。
振り返ると、学生時代からバイトしていた編集プロダクションで卒業後も馬車馬のように働いていた私は、編集部で唯一「ヒップホップを聴いている」という理由でなにも分からないままストリート系雑誌『 MST』 の編集長になりました。
そして、「日本語ラップ冬の時代」といわれるなかでも日本各地で切磋琢磨する多くのヒップホップ・アーティストや、それを支えるシーンの取材に20代のほとんどを費やしました。
ただ、今となってはまだ洋楽セクションに余力があった時代で、GRAND MASTER FLASH、Afrika Bambaataa、DJ Red Alert、RUN DMC、Gang Starr解散後のGURU、DJ Premier …などなど、リリースやライブに合わせて次々来日するレジェンドからニューフェイスたちを取材できたことは、幸せなことだったと思います。早々に出版不況の波に飲まれ休刊という名の廃刊が決まったとき、不謹慎ですが「休める!!!!」と正直安堵しました。転職活動も一切やらず(今となっては絶対すべきでした笑)、旅に出たり、お世話になったラップグループの制作を手伝ったりしながら初めて手に入れた長期休みを謳歌しまくりました。それが2008年のこと。
引き続き、自由を噛み締めていた2009年3月。
表参道の交差点にあったギャラリー360°で初めてヤンさんのパフォーミングアート「宇宙飛行士#αに於けるバイオフィードバック・データの解析」に撮影アシスタントとして伺いました。そこから9月には上野の水上音楽堂、11月には日本科学未来館で行われたパルコ劇場から16年ぶりの大型コンサートと、立て続けに“ヤン富田の洗礼”ともいえる壮大な音のシャワーを浴び、
「私のヒップホップの旅は、ここに繋がっていたのか!」
と腑に落ちました。
あれから16年、SERGE、BUCHLAなどモジュラー・シンセのシステムの進化、ガイガーカウンターを魔改造した意識ほぐし機やアーケードゲームの筐体までも楽器にしてしまうヤンさんに、驚かされ続けています。
もちろんスティールパン、大野さんとスージーさんの陰陽☯️ 的美声、小川さんのドラム、いとうさん、完さん、千葉さん、ロボさん、BOOさんのラップ、椎名さんのエレクトリック・バイオリン、玄さん、小山田さんのギター、宮崎さんのPA、松永さんの DJ. などオーケストラとしてのスペースシップクルーの友情エフェクター全開サウンドは言わずもがな。
どんな会場でも一音目でその場の空気を支配するヤンさんの姿勢に、『超ヒップホップだな…』とニヤニヤしてしまうのです。
自分史をつらつらと恥ずかしくなってきましたが、パルコ劇場で伝説が生まれた1993年――。朝ご飯時のBGMはクラシック…という田舎の中学生だった私は、四国でしっかり「Bomb A Head」から「DA.YO.NE」「今夜はブギーバッグ」にいたるラップのヒット曲に熱中していました。
高校では“写ルンです”を持ち歩き、スチャダラパーファンのお姉ちゃんがいる弓道部の友達からアルバムを借りてはテープに録音。タワレコの視聴機でBUDDHA BRANDに衝撃を受けつつ、浪人時代にはオープンキャンパス名目で上京しておきながら、すでに慶応ボーイになっていた高校の同級生(今もしょっちゅうヤンさんのコンサート会場で会います!)から須永辰緒さんの「Organ b.SUITE 」テープを全巻借り、これまたせっせと録音に勤しみ、カラーコピーでスリーブも完全再現して悦に入っていたことを昨日のことのように思い出します…。
90年代サブカル女子街道を爆走し、大学進学後も(厳密にいうと入学式がありましたが)初めての武道館ライブはみうらじゅん&いとうせいこうの「ザ・スライドショー in武道館」。同居していた弟が買ってきた『relax』でヤン富田特集を読みながら、写真サークルの暗室で銀塩写真のおもしろさに出逢い、岡崎京子の漫画で夢見たTOKYOに生きる喜びに今思い出しても笑ってしまうくらいハイテンションな毎日を送っていました。
まさかその後、A.S.L. クルーのお手伝いをする日が来るなんて…。
14歳の私に伝えに行きたいと、いつも思います。
噂に聞いていた伝説のパルコライブを観て。
もちろん年齢的には若いのですが、何も変わっていないヤンさんと皆さんの姿、「必然性のある偶然」全開の演奏(トーク含む)に驚き、佐俣さんのテキストを読み返していたら、あっという間に3日経っていました…。
一瞬の永遠――。
「冗長。一文が長い! 何より、やたら遅筆」尊敬する編集者の先輩からのいつもの叱責が、こだまします。
具体を入れずにはいられない私は、具体と抽象のバランスの極みで宇宙に通じるヤンさんに、憧れ続けるのでしょう。
08/04/2025
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写真:黒肱 健
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写真:グレート・ザ・歌舞伎町
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YANN TOMITA A.S.L. SHOWCASE 2025 の開催を記念してオリジナルグッズを会場にて先行発売します。
A.S.L. RAINBOW LOGO CAP は3 年前のモデルとボディー、カラーバリエーションを一新しました。
10年ぶりの DOOPEES HOODIE! 新たにDOOPEES SWEATSHIRT を製作しました。この機会に是非!