2020年9月17日木曜日

ヤン富田・日本科学未来館コンサート11.28.2009 より 『宇宙飛行士#αに於けるバイオフィードバック・データの解析』

YANN TOMITA, NATIONAL MUSEUM OF EMERGING SCIENCE AND INNOVATION CONCERT 11.28.2009 
from "Analysis of Biofeedback Data in Astronaut #α"



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『宇宙飛行士・ナンバーαに於けるバイオフィードバック・データの解析』
   part 1:旅立ち / Departure      part 2:ワープ航法 / Warp Navigation   
   part 3:瞑想状態 / Meditation State   part 4:脳波で応える / Answer with Brain Wave   
   part 5:機械と脳波の会話 / Conversations about machine and brain waves   
   part 6:機械と人間の邂逅 / Machine and human encounter   part 7:帰還 / Return
   
   松永耕一:宇宙飛行士、脳波提供被験者
 高木完:被験者介護 
 DUB MASTER X:配線助手
   ヤン富田:BIONIC MUSIC SYSTEM/BUCHLA MUSIC BOX, SERGE MODULAR
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Art D: Yann T / Designer: ジェリー鵜飼:制作。シルバーの特色と感光紙素材を基調としたフライヤー。

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remix 2009年冬号・ヤン富田インタビュー
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remix誌 2009年冬号、科学未来館コンサート終演の5日後急遽行われたインタビュー:20世紀の音楽産業の終焉と、21世紀への展望。そして、当時新たに開発されたばかりのBuchla 200e システムに関する逸話等、所収。
































































2050年、音楽の旅へ!』

聞き手:佐藤 俊、土屋 恵介

ボクたちは21世紀を、新しい時代を、ようやくスタートさせたのかもしれない。
そう思えたキッカケは、20091128日、日本科学未来館で体験したヤン富田さんのコンサートだった。
このライブが終わった時、何かが変わった気がした。いや、変わった。この日から、21世紀の音楽産業は始まった!
大げさに言うのなら、それぐらいはじまりを予感した。ということなんだろう。
ボクたちは勝手に当初予定した表紙を止め、復刊第1弾のremixの表紙はヤンさんにお願いしたいと強く思った。
それを今回プレスを担当されている松永耕一さんに伝えると、いきなりヤンさんをインタビューする時間がもらえることになった。
このインタビューは、コンサートの興奮さめやらぬ5日後に、森に囲まれた都内某ホテルのラウンジで行われた。(佐藤 俊)


語り手:ヤン富田

こんにちは、ヤン富田です。よろしくお願いします。すごく急なお話でびっくりしました(笑)。remix 誌の表紙はいままでになったことがなかったけど、今回は締め切り間近でお声をかけていただいた。こんなことは、20世紀の音楽産業ではありえなかったでしょ、表紙になるのは何ヵ月も前から決まっていて、レコード会社の宣伝費からお金を払ってそれで表紙を買っていた、併せてインタビュー記事も掲載されて、音楽評論家は提灯記事を書いて、でもそうしたことは段々と読者にもバレていって、信用されなくなって読まれなくなっていった。他方で一般の方が原稿料も出ないのにインターネットで音楽について発言しだすと、それで生業を立てているライターよりも面白かったりして。それは純粋に書きたい、書き留めておきたいといった初期衝動があるからなんですね。一方プロのライターは原稿料のために書いているのがありありとわかる文章が氾濫していった。すでにその頃は本体のレコード会社も業績不振に喘いでいたから予算が削減されて媒体にもお金が回らなくなっていったでしょ。でもそれは、不況のせいだけなんかじゃないけどね。

音楽産業は当初は文化事業という側面をもっていた。つまり売れ線だけではなくて、売りづらいけども文化的にはこうしたものも発売していかなくてはといった、良心と言ったら大げさかもしれないけど、それでうまくバランスを保っていた。音楽評論家にしても故・福田一郎さんとかは、民放の深夜放送でバーズの「霧の8マイル」のライブ演奏を素晴らしいからといって16分にも及ぶその演奏を、コマーシャルをすっとばしてかけたことがあった。私がそれを耳にした1970年は20世紀の音楽産業の幸せな時代だった。ところがその音楽産業が社会の変化とともにその役割を終えることが見え始めると、今度は売れ線至上主義になっていった。別にそれが悪いことだとは思わないけど、でも音、音楽を扱う商売なのにそれだけでは無理があるでしょ。ビッグヒットなんて、いつまでも続かないし。

20世紀の音楽産業はね、20世紀で終わったの。当たり前の話だけれど。つまりそれはどういうことかというと、エジソンが19世紀に蓄音機を発明してから、20年代にはSPができて、48年にLPになって、80年代にCDになったという変遷があるけど、20世紀の音楽産業はその音源をいかに売るかってことにその最大の目的があった。テレビやラジオの音楽番組、雑誌から何から全てはそのために動いていた。アーティストは取材されたり毎日同じことの繰り返しのライブやったり、それはアーティスト活動じゃなくて、正確には経済活動って言うんだけどね。別に悪い意味で言ってるわけじゃなくて、だれでも生きていく上では必要なことだからね。レコード会社の人も毎日同じことをやってたわけ。今まではそれで全て成り立っていたけど、パッケージ自体が、CD じゃなくてもいいって話になってきて、ダウンロードになって、手っ取り早くいえば、在庫持たなくていいことになって、最終的にはミュージシャンからリスナーがダウンロードしていくってことになる。結論的にはそうなるでしょ。となると、ビジネスの形態としてはもう一件落着してるの。20世紀型音楽産業は。2千年紀に入ってからのこれまでの数年は、その20世紀の音楽産業の残務整理みたいな時期ということで、だから21世紀は、20世紀型の音楽産業のやり方をやってもダメなわけ。音楽雑誌がなくなったりするのも、全部そういうこと。それはそれで正しいことなの。実は、悲しいことじゃないんだよね。オレたちは、これからもっと楽しいことがあるんだよ。運良くぼくらはそこに行けるわけ。悲観するのは簡単じゃん。でも、ものを作る姿勢はそれじゃダメだから。そこを間違えると転職とかになっちゃう。これはもう最大のチャンスだって思うと、それだけでワクワクしてくるんだよね(笑)。そこから何かが始まっていくんだよ。
そういった意味では、1128日のコンサートっていうのは21世紀型の音楽産業の始まった日でもあるのかもしれないね(笑)。大きなこと言っちゃてるけど、アハハ。

それでそのコンサートのお話をしなくちゃね、それを聞きに来てくださってるわけですものね。日本科学未来館でのコンサートは、スペース・ステーションの操縦席にいる私を、中から中継してるイメージにしたの。スクリーンの映像がボケるのも、衛星中継の画質に近いものがあるしね。会場の全員がスペースシップの中にいるか、中継センターでモニター見ながらというイメージにした。それはスタッフの皆さん、出演者のみんなも一丸となって、それを創りあげてくれたんです。コンサートはおかげさまでたくさんの人に来ていただいて、未来館の建物をぐるりと囲んだ行列はあの建物の雰囲気とあいまって未知との遭遇みたいだったでしょ。

セッティングも音楽?
機材をセッティングしてるときに、普通に「433秒」(限られた時間枠を設定してその間聴こえて来た音を音楽とする作品)っていえば、それで成立しちゃうんだけど、あえてそうは言わなかった。音楽は音を出すまでが大事なんですよ、出した後はしようがないっていうことなの、だって出しちゃったんだからね(笑)。だから音を出すまでも音楽なの。音を出すのを待ってもらってるのは、私のお客さまを信じてるから。あと、説明することでイメージが限定されちゃうでしょ。やっぱり楽しみ方はそれぞれ自由だから。ただ、楽しみ方の最低限のヒントみたいなものはあげないと、何が何だかわかんないでしょ。物事って何でもそうだけど、いきなり専門領域の話を、そうじゃない人にしてもわかんないでしょ。それは音楽だって、学問だって、スポーツだって、なんだってそう。何が何だかわからないの最初は、音楽でもシャワーを浴びるように毎日たくさん聴いて、ある一定量を越えると少しずつわかってくる。この本の読者向けに言うなら、たとえば RAS G とか好きならそれをどんどん追求、研究していけば、私が20年前にやっていたことに行き着くはずだよ(笑)。
私の研究機関であるオーディオ・サイエンス・ラボラトリー (A.S.L.)は、国から助成を受けた研究資金のもとで運営しているわけではないから、世の中と対峙して、もまれながらやっている、だからそれなりの世間との付き合い方っていうのがある。そういった知識とかがなくても、音楽の、ひいては私の全人格の本質的なものをコンサートでも感じてもらえればいいと思っている。そこから興味を持って、あとは個々でいろんなものを切磋琢磨して、見たり聴いたりしていって、「あ、そうだったのか」って感動みたいなものを味わえると、世の中の面白さにつながっていくと思う。ですから、わかる人だけわかればいいなんて思ってないんですよ。

時の感覚すら超越する、ヤン富田の音楽の力。
時間感覚を忘れちゃった? それは、いろんな術を使っちゃったからね(笑)。集団催眠とかね、まあ事故がなくてよかったです(笑)。ライブをやる前は会場に低周波を流したりとか、いろいろな術があるのだけど、低周波は催眠効果があるからね、そこにいきなりバーンってドラム缶の音が来たりすると、シャキンとしたり、意識がずれたり、いろんな効果があります。会場が7時だったから、7時に流す曲はこれ、何分何秒でこれとか、私が登場するまでのタイムテーブルはかっちり決めてるの。それは、お客さまが入ってくるところから、全部がコンサートだと思ってるからなんだ。

入念な準備なくして本番なし。
物事は8割が準備で、残りの2割に、普段の行いが出るの。何にでも言えることだけれどね。だから準備は手を抜いちゃダメ。怠けたり調子に乗ってたりすると、結局、自分に全部振りかかってくるから。普段はお酒もタバコもやらないし、音楽のことしか考えてないの。ただ音楽が好きってだけの話なんだけどさ(笑)。だから、自分にとって音楽をやれる、ライブをやれるっていうのはすごく幸せなことなんだ。

楽器にまつわるエピソード 1、電子機材篇。
道具の話をすると、数冊の本になるくらい長くなるから、なるべく短めに話すよ(笑)。今回のコンサートで私が主に使った電子機材は、ブックラー・ミュージック・ボックスとサージ・モジュラー・ミュージック・システムというもので、主に専門領域のところで使用するものなの。研究機関とか大学の研究室とかね。いわゆるシンセサイザーは、そもそも電子音楽を研究している人向けに開発されたもので、60年代初頭に二つの大きな流れがあったんだ。それは米国東海岸の楽器職人、ロバート・モーグが開発したモーグ・シンセサイザーと、西海岸の前衛音楽家ドナルド・ブックラーによるものだった。モーグは開発したときに鍵盤を付けたの。鍵盤にしたから研究者でなくとも普通に弾けて一般化していった。シンセといったらミニムーグって感じになった、でもその分サウンドは風化した。日本のローランドやKORGといったメーカー、海外のほとんどの楽器メーカーはもともと商売でやってるので、こちらのモーグに追随した。

ところで電子音楽(エレクトロニック・ミュージック)というのは、電気を使って今までにない表現を創造する姿勢を持った音楽っていうことなの。そういうふうに自分は位置づけてきた。だからただ単に電気を使った音楽というのは正確には電気音楽(エレクトリック・ミュージック)というの。つまり、ヒップホップやテクノやエレクトロニカやダブステップとかその他あらゆる音楽の分野で、電子機材を使って先進的な姿勢をもったものは、全て電子音楽の体系に含まれるものなの。

そういった中でブックラーやサージというのは、鍵盤ではなく楽典にはとらわれない、もっと広大な領域の音楽表現を目指した道具だった。つまり今までにない音楽表現を勝ち取るのが電子音楽なんだから、という前提が当然のごとくそこには含まれていた。だからブックラーの系統は、代わりにコントローラーが鍵盤じゃないものを考案したりしたわけ。入手するのも困難で、商売のために開発されたものではなかったからね。サージは今でも注文は留守番電話にメッセージを残すことから始まるし、ブックラーはホームページに載ってる問い合わせ先ではメールが届かない。結局、電話で直接話すことから始まるの。私のサージは注文から13ヵ月後に、ブックラーは注文した当初は納品に2ヵ月半だったんだけど、ブックラーさん自身が自分の設計したモジュールに設計変更をしたので、その分遅れて15ヵ月後に届いた(笑)。

だから楽器メーカーとは呼べないの。それで、ブックラーかモーグ、どちらを選ぶのかは、音楽家としての姿勢や覚悟にかかわってくるの。60年代当時の音楽家は同じ時期にムーグとブックラーがあって、研究者はどちらかをチョイスしなきゃいけなかった。そこに音楽家としての姿勢が表れることにもなったから。ブックラーを選ぶということは、いわゆる一般の音楽産業の中では仕事にはならないよって意味でもある。研究者として前衛として追究していかなきゃいけないんだから、新しい音楽を。そうしたことは今でも変わらないんだけどね。でも、少し変化の兆しが見えてきたかな。今回のコンサートのお話は、お国の研究機関ともいえる日本科学未来館が、民間のオーディオ・サイエンス・ラボラトリー(A.S.L.) にコンサートしませんか? って、官が民に頭下げて言って来た、それは凄い革命的なことだなって(笑)。自分は、研究費の助成をもらって運営してるわけでもないし、事業仕分けの対象になるようなこともやってない(笑)。自分で民間でA.S.L.をやってるわけじゃない。そこはうまく折り合いをつけてきた、たとえばブックラーかモーグか?といった問題も、だったら両方使えばいいじゃんっていうことでやってきた。それは仕事が来たら研究した成果を、うまく経済的活動に還元するような形でずっとやってきたんです。80年代からね。そうしたことは今でも変わらないんだけど。でも、そこには私を応援してくださる人との出会いがあったおかげだなって思ってる。だって、今日だってこんなヤツの話を聞きに来てくれてるわけでしょ(笑)。でも、そういうところで助けられてる。自分一人じゃ何にもできないからね。

電子音楽 (エレクトロニック・ミュージック)のキーワード
音楽ライターや音楽愛好家、DJの方々と音楽のお話をする機会があったりすると、たとえばブックラーやサージを知ってるか否かで、相手の音楽的な知識はわかっちゃう。そのくらい電子音楽の中では重要なことなんです、ブックラーの位置付けは。たとえばイチロー知らなくて大リーグを語るようなものなんですよ。それでもしあなたが知らなかったとしたら、そこがとっても大事な局面なんですけど、そこで謙虚になること。そのことで世の中の見方や、まだまだ世の中には自分の知らないことがたくさんあってと思って、ワクワク、ドキドキしてくるんですよね。そのことが、世の中ってまんざらでもないなって思ったりすることにつながっていくんです。

今回のコンサートで使用した私のブックラーは2004年に開発された最新鋭のモデルで、ターミネーターでいったらT-1000を飛び越えたようなモデルです(笑)。それぞれのモジュールにはマイクロチップが入っていて、革新的なデジアナのシステムで、コンピュータ界で言えばスパコンのようなもの。全世界で現在(09年)30台前後が研究者、研究機関の間で稼働してシノギをけずっています。日本では私だけですけど、これは購入する前から完成されたシステムではないというのが前提となっています。つまりバグ込みで購入しなければならないんです。だからここでも音楽家の姿勢が問われる覚悟の上での楽器になってます(笑)。ネットで購入者並びに購入予定者のサークルがあって、そこでバグの発見、それに対応するための方策等々が報告される仕組みです。この間までナイン・インチ・ネイルズのメンバーだったアレッサンドロもメンバーにいて、多彩な人脈構成となっています。ブックラーさんは電子工学を学んだわけではなく物理学、生理学を学んだ前衛音楽家なのですが、60年代、NASA FBI のための研究をしていた方で、60年代に目の不自由な人向けに開発された電波信号を使って、位置情報を知らせるシステム等もこの人によるものです。また19661月にサンフランシスコで開催された「トリップ・フェスティバル」(3日間、化学薬剤LSD-25 を使って精神の拡大をはかる催し) では、ブックラーのモデル100 と映像も同時にコントロールする機材を持ち込んで音響監督をしました。最初期のグレートフル・デッドの音響もこの人で、この人なくしてサイケデリック・ロックと電子音楽の出会いは、かないませんでした。ちなみにブックラーのモデル100は東京芸術大学の音楽学部でほこりをかぶってます(笑)。これはどういうことかと言えば、それまでの音楽教育を受けただけでは、どうにもこうにも攻略できない楽器なんです。配線さえ間違わなければ音が出るのですが、そこにそれまでに養った技術的な側面以外の本質的な音楽家としての能力、センスが出てしまう怖い楽器なんです ()。ごまかしが効かないんですね。まぁとにかく楽器同様、ブックラーさんは気難しく、風変わりなお方です。今時シンセで2万ドルもするシステムが、納品間もなく火入れができなくなりました。頭にきて大変偉い方に向かって「スイッチもまともに入らないなんて!」って言ったら、3ヵ月ほど絶交されたんですよ(笑)。こういうことは息子のエズラ・ブックラーに言うといいようで、その後は対応の仕方がつかめました(笑)。

 一方のサージですが、20世紀のロシアの大音楽家にアレクサンドル・チェレプニンっていう人がいました。1930年代に中国に渡って結婚したあと日本に来て、東京音楽大学の学長を長らく務められた伊福部昭や黒沢映画の早坂文雄といった人に、音楽家としての指導をした人です。日本のクラシック音楽界にすごい影響を与えた方で、その後ロシアに戻って、戦後一家でアメリカに移住したんですが、その長男がサージ・モジュラー・ミュージック・システムを開発したサージ・チェレプニンです。サージは70年代初頭には西海岸のカルアーツ(カリフォルニア芸術大学)で電子音楽を指導します。60年代初頭のサイケデリックの流れでブックラーさんとも会っていた。当時ブックラーは、大学等の研究機関御用達のシステムだったから、すごく高価なもので、個人で入手するようなものじゃなかった。そこで、もっとみんなが使えるものとしてブックラーの思想をもとに作ったのがサージ・モジュラー・ミュージック・システムだった。サージは現在も生産されていて、サージさん自身は70年代初頭の開発期にその教え子であったレックス・プローブに権利を譲ったんです。そうして90年代の初頭にレックスのもとでサージは生産を再開した。レックスも変わった人で、メールをやらないから注文は留守電に入れる。手に入れるのはすごく大変だけど、この楽器の音はこれ以上ないアナログの最高峰のものです。実はデジタル・シンセの最高峰の音を目指すことは、アナログの最高峰の音を目指すことなんですよ。パラドキシカルですけど。コンサートで脳波のデータを音楽信号に置き換えて、ピーピーガーガー鳴ってた音はサージによるもので、お聴きになった方の中には「家のブザーが壊れた音とどう違うんだ」と思われたかもしれませんが、私としては、こんなにも甘く、荒々しく、上品な音は他の機材では鳴らないんです。自慢してるのではなくて、音楽を追求してきたらこうした機材に行き着いたんです。私はもうすぐ60歳になるんですが、若い音楽家にいきなりは勧められませんけどね、だって違いがすぐにはわからないから、それは先ほど述べた、最初は何もわからないじゃないっていうことなわけ。プロは道具が良くて当たり前だけど、ヴァイオリンだってピンからキリまであるでしょ、電子機材に関しては特に違いが出ます。その違いを聴きわけていくということが、先ほども述べた世の中には知られていない音楽、いろんな音楽が実はあって世の中って面白いなっていうこと、豊かだなっていうことにつながっていくと思います。それはお金持ちもそうでない人もグッとくる瞬間があって、音楽の良いところはそこにあると思ってますから。

音楽というものを楽典だけに限定してしまうと、音楽はその領域のほんの数パーセントだけのものになってしまいます。楽典以外のもの、一般的にはS.E.とかノイズとか呼ばれているものも音楽とすると、音楽の可能性は絶大に広がるんです。私の1992年のデビューアルバム『MUSIC FOR ASTRO AGE』でカバーした「4分33秒」はその決意表明でもありました。それを商業音楽の中で展開していくのは困難ですが、私にとってはわくわくしたもので、それが98年の『MUSIC FOR LIVING SOUND』につながりました。それは商業音楽の中で、4枚組のパッケージに納めた、いわゆる楽典としてのメロディーがある曲がほんの少しだけあって、あとは楽典以外の音楽でした。信じられないことにそれを1万セットも買っていただいたんですよ。革命的なことだと自負してます。

その前に発売したDOOPEESを期待してた人の中には、頭を抱えてしまった人がいたかもしれませんが、でも私としては、DOOPEESLIVING SOUND も同じなんです。装いが違うだけで、本質的な違いはありません。ジャンルにとらわれてしまうと音楽の本質的なところはなかなか響きづらくなります。ジャンルは時として、20世紀の音楽産業が生み出した弊害にもなるんです。
どういうことかと言うと、ジャンルっていうのは、要するにものを売りやすくするための便利なもの。私は、ドラム缶と電子機材って一見対極のものを使ってる、そういうレンジでやっているから、売りづらかったの(笑)。だから、いまだに私のことは説明しづらいでしょ? てっとり早くドラム缶奏者なら奏者ということで音楽産業のベルトコンベアーに乗せられて一丁上がり!っていう具合なんだけど、ヒップホップも、ハウスも、ダブも、電子音楽も、それでポップをやるぜ! とかになると、どうしてもジャンル分けできないからそのままほったらかされてきた(笑)。
私は92年にデビューアルバム『MUSIC FOR ASTRO AGE』を出して、アストロ2050システムズってヴィジョンを打ち出した。それは2050年からの視点をもって1992年に先行発売するってことだった。2050年にはジャンルはいらない。ジャンルでくくれない音楽家の時代になるということだった。このまんま21世紀の音楽産業が進んでいったら、音楽家は何でもできて当たり前になる。この音楽家は素晴らしいから、きっと歌っても、何やっても面白いだろうって話になる。昔の哲学者や芸術家って、何でもやれたんだよ。でも、20世紀は音楽家が仕分けされた。ヴァイオリニストはヴァイオリニスト、ピアニストはピアニストだった。それはそのほうが売りやすいし、仕事がしやすいから。枠でくくれる人はそれでいいけど。今までそうやってきたんだし。でも、21世紀はそれが全てではない。今回、私のコンサートに聴きに来てくださった人で、DOOPEESを聴きたかった人は、前半をノイズというかもしれない。私はノイズなんか奏でてるつもりは全くないの。でも、そう聴いちゃうのはジャンルで聴いてるからかもしれないね、20世紀的な音楽の聴き方になっちゃってる。いいとか悪いとかでなくて。でも自分は最初からそんなつもりでやってきてないの。『MUSIC FOR ASTRO AGE』があって、『DOOPEE TIME』も出してて、『HAPPY LIVING』も出して、『MESS/AGE』も出してる(笑)。それを全部楽しめるってことが21世紀なんだ。2050年には「このアーティストはドラム缶も叩いて電子音楽もやる、たまには歌も歌うよね」ってなってる。それが違和感がなく存在する時代なの。だけどそんな音楽家って、今は世界中探しても自分しかいないの(笑)。でもね、衝撃的な発言とか革命的なものって、常に圧倒的な少数派から生まれるんだよ。それは歴史が証明してるの。相当かっこいいこと言いすぎちゃってるかな(笑)。

楽器にまつわるエピソード 2、スティールパン。
ああ、誌面が尽きてきちゃったね。ドラム缶(スティール・ドラム)のお話はまた他の機会に譲るとしましょう。私はドラム缶って言ってるけど、スタジオ・ミュージシャンを始めた時に、プロのスティール・ドラム奏者は自分しかいなかったの。70年代後半の話です。当時細野(晴臣)さんが、ティンパン関係の人脈で叩いているぐらいで、でも細野さんのパンは石油が55ガロン入る正式なドラム缶サイズのものでなく、小ぶりのものだった。他に確かサン・ミュージックの楽器レンタルに、ボロボロの古いサウンドのスティール・ドラムがあるだけだった。単に日本では自分しかプロとしてやってる人がいなかったから、業界用語としてスティール・ドラム、スティール・パンのことをドラム缶と呼ぶことに決めたの。インペグ屋(ミュージシャンの手配を行う専門の事務所)さんもスケジュールをきる時に、「何日の何時にドコドコのスタジオでドラム缶お願いします」っていう具合にね。今では、日本のあちこちでスティール・パンのサークルがあるけど、そんなことを知ってる人は、プロの音楽家でも数えるほどなの。それに、ドラム缶っていったほうがカッコいいでしょ? 自分にとってドラム缶のサウンドは、化学や科学に通底するの。楽器自体はすごく数学の原理に基づいた楽器なんですよ。あ、またちょっと長くなって来ちゃったね(笑)。


ヤンさん、オールナイトでライブをやってほしいです。
コンサートではおしゃべりがすぎちゃって、演目が全部やれなかったからね。でもそんなことは本当は大した問題ではないの。人前に出て何かやるときに重要なことは、その人の、人となりが出ればそれでいいと自分は思ってる。エンターテインメントの究極はそこに帰結する。そうでないのなら家で音源聴いてればすむでしょ。
でもコンサートのときは、時間が足りないから今度はオールナイトでって、そんなことも言っちゃったしね(笑)。若い時は、終電を逃すと何かいいことも悪いことも起きるんじゃないかなとドキドキ、ワクワクしたでしょ、でも歳をとって大人になるとそれがこの世の終わりみたく思えてくる(笑)。きっと、オールナイトでやる時は2時間経たないうちに終えちゃって「あとは皆さん自分たちで楽しんで」とか言って、自分は先に撤収して帰っちゃうと思う。そういう感じがいいんじゃない(笑)。

初出:REMIX 2009 no.220 WINTER 
©2009 YANN TOMITA ALL RIGHTS RESERVED

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PHOTO ALBUM:ヤン富田・日本科学未来館コンサート  11.28.2009
出演:井澤聡朗、M.C. BOO、大野由美子、金尾修治、サン富田、ジェリー鵜飼、須永辰緒、
         スージー・キム、ZEN-LA-ROCK、高木完、DUB MASTER X、東海枝尚恭、DOOPEES、
         永井秀二、日本男児クルー、HIPHOP最高会議ー千葉隆史、松永耕一、有太マン、ロボ宙




Photo by Great The Kabukicho   Assistant by Mai Nakata
Video Crew by Cypher Communication & Peace Tribe
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Special Thanks to
楠見春美、溝江功一

コンサート当日のスタッフ並びにセットリストはこちらになります
 http://asl-report.blogspot.com/2009/11/
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