2013年11月15日金曜日

再放送のお知らせです。 NHK BS プレミアム - ヤン富田の音楽の世界『音楽による意識の拡大を求めて』が再放送されます。日時:11月23日 土曜:深夜25時25分〜26時54分となります。

おかげさまで反響も多く好評とのことで再放送の運びとなりました!
ご覧いただいた皆さま誠にありがとうございました!
未鑑賞の方は是非この機会にご覧くださいますよう
よろしくお願い申し上げます。

出演:いとう せいこう  M.C. BOO  大野 由美子  小山田 圭吾  COMPUMA  椎名 謙介
   ジェリー鵜飼  スージー・キム  砂原 良徳  高木 完  DUB MASTER X  DOOPEES
   永井 秀二  HIPHOP最高会議ー千葉 隆史  山口 洋佑  ロボ宙
協力:井澤 聦朗  今井 秀行  岡田 正道  岡村 知美  小川 千果  掛川 康典  川勝 正幸
   金尾 修治  楠見 春美  グレート・ザ・歌舞伎町  斉藤 洋平  佐藤 公一  下田 亜希子 
   鈴木 暁久  須永 辰緒  瀧本 勝也  田中 哲弘  田村 玄一  富田 和樹  仲田 舞衣
   NOON CREW 2010  番場 秀一  前島 裕樹  松浦 彩  松田 信哉  丸岡 るみ子  
   溝江 功一   モクレン  山本 洋平   脇本 真光
撮影協力:日本科学未来館 (東京・お台場)  CLUB NOON (大阪・梅田)  原美術館 (東京・品川)
     リキッドルーム (東京・恵比寿)  ヨコハマ創造都市センター (神奈川・横浜)
ディレクター:菅井 高志
プロデューサー:東海枝 尚恭  
制作統括:石原 真  




2013年7月27日土曜日

YCAM 山口情報芸術センター設立10周年記念祭コンサート:ヤン富田 「禅と生命体と宇宙線」セットリスト

YCAM 山口情報芸術センター設立10周年記念祭コンサートに招聘され演奏してきました。
ステージ背面の超巨大なスクリーンには演奏の模様が映し出されます。スペースチェアに横たわるのは今回の宇宙飛行士・小山田圭吾さんです。小山田さんの脳波を解析、音楽信号に変換し、内的、外的宇宙の旅に出かけました。また映像は宇川直弘氏のDOMMUNE によってライブ・ストリーミングされました。
コンサートには直径6mの自家用 UFO を1機持参しました。YCAM の音響及び設備は東洋一と謳われるだけ
あって、巨大UFO も舞台袖に格納できました。スタッフさん6人かがりによって素晴らしいタイミングで
登場/退場することが出来ました。


ヤン富田「禅と生命体と宇宙線」 セットリスト:YCAM 情報芸術センター 2013.7.27
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:ご挨拶及び「意識の拡大に関して」

1.  『A.S.L. の知覚の扉 エピソード  1~4:意識の拡大と脳波及びサウンド・ロボット』
  小山田圭吾 - 脳波提供被験者、宇宙飛行士
  COMPUMA - 助手、被験者介護
  ロボ宙 - 助手、被験者介護
  ヤン富田 - バイオニック・ミュージック・システム & エレクトロニクス

2. 『宇宙飛行士・ナンバーαに於けるバイオフィードバック・データの解析』
  小山田圭吾 - 脳波提供被験者、宇宙飛行士
  COMPUMA - 助手、被験者介護
  ロボ宙 - 助手、被験者介護
  ヤン富田 - バイオニック・ミュージック・システム & エレクトロニクス

:音楽に関するお話

3.  [ 光と音の多元的考察から]:『光と音の行方シーン1~3』
  ヤン富田 - 空間光線探査砲 、意識ほぐし機 & エレクトロニクス

4.  [ A.S.L. のエイリアン調査計画から]:『who are you? / あなたは誰?~スペース・トーク』
  ロボ宙 - エイリアンNo.2 & スペース・トーク
  ヤン富田 - エレクトロニクス

5.  『A.S.L. のジェットセット』
  Jetset Crew:COMPUMA、ロボ宙 & 小山田圭吾
  ヤン富田:航空交通管制交話 & エレクトロニクス

ライブ・カメラ:宇川直宏 (DOMMUNE)
写真:グレート・ザ・歌舞伎町



2013年7月12日金曜日

2013年3月6日水曜日

ヤン富田 パフォーミング・アーツ『実存と構造と生命体』

5月5日(日)アサヒ・アートスクエアに於けるヤン富田ライブのお知らせになります。



実存を音、構造を音楽として位置づけると、
音には発する音そのものの理由が生ずる。
その音の理由を解放するパフォーマンス。


前売券のe plusでの販売は終了しました。
ご購入ありがとうございました。


注:WINDBELLでの前売受付は締め切りました。
沢山のお申し込みありがとうございました。

2013年1月23日水曜日

「ピコンという名の頭脳委員会」

(第3回アシッドテスト『実存と構造と生命体』より、楽曲の構造ー凡例3からの発言を文字起こしして校正)


(楽曲試聴後...)

これは、私が制作した1989年のいとうせいこう "MESS/AGE" というアルバムからの「メッセージ」という楽曲です。オケはカリプソ・シンガー、マイティー・スパローのアルバムからサンプリングして作った作品です。当時(1988年)このアルバムを持っていたのは、私だけだったと思うんですけど、アハハ。ミュージックマガジンでカリプソの原稿を書いてた深沢さんは持ってなかったし、故中村とうようさんも持ってなかったと思います。でもまあ、コレクターの事も考慮すると日本では多めに見積もっても五人位いたのかも知れません。それで、このお話のポイントはそのことにあるのではなくて、曲の後奏部分でピコン、ピコンと唄ってるでしょ、そのピコンっていう事のお話なんです。

カリプソというのはリズムの名称ではなくて社会風刺歌の事なんです。皮肉たっぷりに面白可笑しく日常の時事ネタを唄って笑い飛ばすというもので、その風刺の度合いをピコンといいます。支配体制との闘いの中から生まれたもので、カリプソ発祥の地トリニダード・トバゴでは、カリプソシンガーは国を代表する頭脳委員会的な位置づけにあるのです。ですから普段は学校の教師だったりする人が、年に一度のカーニバル時にはカリプソニアンとなって活躍したりします。

"MESS/AGE" は、アルバムの冒頭部分と最後の楽曲にカリプソを持って来て、核が爆発した地球の事をテーマにしようとディレクションをして、いとうさんが歌詞を創っています。


思い出はあの夜  熱にうかされ ふくらむ月

黒ずんだ空と 濁る海の色  おみやげ絵ハガキ 捨てて出てくよ

まぶしいカビがただよう夕焼け  くせになりそうだった 居心地良くて


すばらしい星にさよなら 必ずまた来るよ 出来るならそれまでは

ヒトいればいいけれど


(ピコン、ピコン、ピコン)


これはその歌詞の抜粋ですが、アルバム"MESS/AGE" はそうしたことで、奥行きのあるアルバムとして上梓できたと自負しています。


それでまあ、こんどは、1992年と94年に、スティール・ドラム発祥の地でもあるトリニダード・トバコに渡って、私のソロ・アルバム "MUSIC FOR ASTRO AGE" と、ASTRO AGE STEEL ORCHESTRA 名義での "HAPPY LIVING" というアルバムを制作するのですが、それらのアルバムのキャストは、1983年に初めてトリニダードへ渡った際のリサーチで大方決めていました。


"HAPPY LIVINNG" の制作では、マイティー・スパローと並ぶ国民的ヒーローであるカリプソ・シンガー、ロード・キチナーの楽曲をカバーしています。  "Hold On To Your Man" という1964年の作品で、「スティールバンドの奴らが町にやって来る、奴らに心を奪われないようにしっかりと抱きしめて...」といった内容のロードマーチです。キチナーは特にスティール・バンドの重要なレパートリーとなるロードマーチの名曲を数多く遺した音楽家で、国の宝として庶民に圧倒的な支持を得ていました。


当初、唄はキチナーにお願いするつもりでいたんですよ。当地のブッキング・マネージャーからは、「トミタ、キチナーは一曲◯ドル出せば来てくれるよ」と言われました。その提示した額というのは、おそらく、私にオファーを断念してもらう為の方策で、それからブッキングマネージャーとの橋渡しをしてくれた、現地在住の日本人の方の面目を保つ意味もあったのでしょう。でなければ単に私からのオファーをキチナー・サイドが断ればいいだけの話ですから。それに国の宝でもある我らがヒーロー、キチナーが参加するの?と、現地のスタッフから戸惑いのような空気も感じていました。


それで、その額は当地ではそうゆうスキャンダラスな驚くような額ではあるのですが、実は、当時は私のような者でもアルバム制作費としては潤沢にあったので、可能な額だったのです。 ここでジャパン・マネーの威力をかってキチナーに唄ってもらえば、アルバムとしてはヒストリカルな作品になるのは判っていました。世界中にファンがいるのも知っていました。ただそれよりも、その額でお願いして演ってもらった場合、おそらく彼らはその事を、皮肉たっぷりに面白可笑しくカリプソにしてしまうだろうなと思ったのです。そのくらいの事は彼らカリプソニアンはするのです。めちゃくちゃ頭が良いですから。それでホテルにもどって一晩考えて頼むのをやめました。




( "Hold On To Your Man" 所収のキチナー1964年発表のアルバム。)


(1983年、ヤン富田とロード・キチナー、首都ポート・オブ・スペインにて)






2013年1月22日火曜日

「生命体に於いて、食べなくていいということは、自由だということ、そして革命的だということ」

『生命体に於いて、食べなくていいということは、自由だということ、そして革命的だということ』

(第三回アシッドテスト『実存と構造と生命体』より、「A.S.L. の動向」からの発言を文字起こししたものを校正) 


それではですね、ちょっとお話にもどって、「A.S.L. の最近の動向」ということで。私、昨年の暮れに入院してました。12月の中旬から。年末の28日には退院出来たんですけど、食べ過ぎちゃって腸閉塞になっちゃたんです。腸の処が詰まっちゃって。妻が白菜と豚バラの鍋のひき肉バージョンをつくってくれたのがすごく美味しくて、もうリクエストして5日間のうち3日間くらい、そのバリエーションでシラタキだなんだとかで猛烈に食べちゃったんです。子供の分にとっておいた分とかも食べちゃって。それでちょうどお歳暮の時期で、私が好きなものを贈っていただいてるので、もう好きなチョコレートだとかお煎餅だとかのお菓子で間食もしまくって、食べて食べて、あの猿にオナニー教えるとそればっかりしちゃうっていうのあるでしょ、あのような状態なわけ。で、もう中途半端なのがいやなのね、だってつまんないでしょ。でも妻は「少しづつ食べたら良いんじゃない」とか言うんだけど、好きなものは飽きるまで食べちゃって次何食べようかな~みたいなのが幸せかなっていう感じだったんですけど。そんな事してたら胃と腸が壊れちゃって機能しなくなっちゃってたんですね。もう全部スルー状態で、だから幾らでも食べれる状態になって、で、調子にのってやってたら、ある時腸のなかで詰まっちゃって、明け方近所の病院に入院する事になったんです。


それはもう本当に死ぬかと思うぐらいに大変だったんですけど、関係各位には 1月20日のアシッドテストはもう無理だからってお電話して、ご迷惑をおかけしちゃうんで。そしたらもう大騒ぎになっちゃって。それで次の日になったらケロっとしちゃって、点滴が効いてるから元気になったんですね。それでサポートして下さってる windbellの富田さんとか松永さんとかいろいろな方がおられるんですけど、松永さんに電話したら、朝の10時頃だったんですが、すでに電車に乗って富田さんとこちらに向かっているところで、それで電話にでて「あっ、息子さんですか?」とか言われて、前日の電話で死にそうな声で「ダメだと思う」って言ってたから、「いやオレだよ、1月20日は演るからさ、今日来なくてもいいから」って言って、もう本当に本当に最低な奴なんですけど。まあそうしたことで。


私の作品の中に『フォーエバー・ヤン・ミュージック・ミーム 4 変奏集』というのと『サマー・ワークショップ 電子音楽篇』というDVD があるんですが、どちらもCCRE という会社から発売する事ができて、でも直ぐに倒産しちゃったんです。それで在庫が債権者に渡りまして、アマゾンなんかでは『変奏集』は千円しない価格でまだ買えるんです。これ絶対に買っておいた方が良いと思います。私が潤うわけではないのですが、CD と DVD と本がセットになっていて、本は110頁程あって、私の拙著『フォーエバーヤン・ミュージック・ミーム1』の続編的なものになってます。こうした物はなかなか作れる物じゃないんですね。観たり聴いたり読んだりして、ワクワクしたいと思うのでしたらこれは保証します。それに『DOOPEE TIME 2』が作品としてステッカーになっちゃったお話が入っていて勿論そのステッカーも付いてます。「なんだ『DOOPEE TIME 2』作ってるとかいうから待ってたら、ステッカーなんだ」とかそうゆう風に言われちゃうと、もうすみませんて謝るしかないんですけど、でも何か、「あぁ~ DOOPEE TIME 2 ってステッカーだったんだ~」っていう新鮮な驚きのあるセンスを受け入れてくれると嬉しいな~とは思うんです。なにかぎすぎすしてなくて良いじゃない、「え~CD じゃないんだ」とか言われても、そんな当たり前の物じゃないんだよね。だってもともと当たり前の様なことはやってきてないんだから。


それで、その本の中に以前病院に入院した時のお話があって、看護婦さんにモテちゃったのね。その時もいろんな方がお見舞いに来て下さって、ある時、お客様が帰っていったら看護婦さんが飛んできて「いまお見えになっていたのは須永辰緒さんですよね」って言うから「えっ、なんでそんなこと知ってるの?」って訊いたら「あの私、*オルガンとか行くんですよ、富田さんのことも知ってるんですよ。」(* 渋谷、宇田川町にあるクラブ、オルガン・バーのこと)って、えぇ~、それでもうカッコつけてもダメだなと思って、すでに座薬とか入れられまくってたから。とても素敵なお嬢さんで、何か気が合う感じがあったんですよね。そしたら暮れに入院した時は6年ぶりの入院だったんですけど、その看護婦さんはちょっと偉くなっていてですね外来の化学療法の担当になってました。なんでも聞くところによると、一週間の内にカルテが廻って来て誰が入院してるか判るシステムになっているんですね、それである夕方、その看護婦さんが病室にひょっこり顔をだしてくれて、「富田さん、大丈夫ですか」って、「うわぁ~、どうもその節は」って、私にとっては命の恩人のような方ですから、それで「昨年のリキッドルーム行ったんですよ、あんなに長い時間おやりになって、元気になられて本当に良かったです」って言われてもう泣きそうになりました。それでそんなこともあって、退院も決まった頃には元気になって病院内を散策してました。もともと機材を見るのが好きで、そうしたことが私の創作に反映するんですが、特に医療機器は先端技術なのでいろいろと見て廻ったりしてました。その日は土曜日の夕方でひと気もなくて、入院してからは、こんどは黒酢のドリンクばっかり飲んじゃってて、アハハ、はまっていたんですね。病室の在庫が切れたので売店にもよって、それで病室にもどろうとしてたら、ばったりあの看護婦さんと出くわしたんです。大きな総合病院なんですが、その時はがら~んとしてて人影もなかったんです。あ~何かご縁があるのかな?と思ったのですが、深入りするのはヤメようと思ってご挨拶だけすませてもどりました。


まあ、オーディオ・サイエンス・ラボラトリーの近況は、このようなことで... あの「生命体」ということで命に関わることで、こうしたお話でいいでしょうか?「実存と構造と生命体」ということで。何か小難しい事を言っちゃってもね、カッコわるいじゃん。

人間 (生命体)ってやっぱり、食べなくちゃいけないっていう事が最大の弱点なんですよね。だから腸が詰まっちゃってる最初の10日間くらいは食事が出来ないから全て点滴なんです、ですから食べなくていいでしょ。それはね本当に体験してみるとすごいことなんです。食べる事を考えなくてもいいということはとても自由な感じがするの。うゎって思って、食べる事って大事じゃないですか、箸を使って食べたり、お昼はパンにしようかな?とか、そういった事も一切考えなくてすむのね。あれが食べたいとかこれが食べたいだとか思わないの、お腹も全然空かないし。点滴は腕からだと血管が細いからボロボロになるんだけど、首の太い血管からだと栄養をがんがん入れられるから、だから全然元気なわけ。これはもう本当に凄い体験でした。食べるっていうことは弱点でもあって、まあ楽しみでもあるんですけれど、そうゆう様なことで。


追記。

入院中のこの体験は、どんな革命思想よりも鮮烈でした。

食べなくていいということは、食べる心配をしなくていいということで、つまり働かなくていいということだ。入院中の処方によって感じた束の間の自由で強烈な解放感はその事にもあったのだ。そんな事してたら食っていけなくなるぞとか、食っていく為の労働の対価だとか、もうそんな事は考えなくても済む世界。そうゆう生命体だとするならば、もはや政治や宗教や、その他全て私達人類に課せられた全システムから、私達は無限の彼方へ解き放たれるのだ。それは死後の世界と通低しているのかもしれない。


追記2。

ドラッグ体験といわれれば、そうなのですが...

まぁ意識が拡大しちゃってるんですね。


追記3。

以前凄いお金持ちの知り合いが私の悩みは生きがいを見つけることと言っていたのを思い出す。






























ステッカーだった ”DOOPEE TIME 2"





『フォーエバー・ヤン・ミュージック・ミーム 4 変奏集』
http://asl-report.blogspot.jp/2008_04_01_archive.html


『ヤン富田のサマー・ワークショップ 電子音楽編』
http://asl-report.blogspot.jp/2008/08/blog-post.html












2013年1月21日月曜日

「実存は孤独なのだ!」

(第3回アシッドテスト『実存と構造と生命体』より、[A.S.L.のジェットセット」からの発言を文字起こしして校正)

え〜、大野さんもスージーさんも古い付き合いなんですけど、リキッドルームで演った時に(2012.9.22)、大野さんが間違えて、あとですっごく叱ったのね。大野さんは察してたらしくて翌日の朝一番でメールが届いて、「すみません、次はしっかり演りますので、きちんとおさらいもしますので。」って、あぁ〜叱られるのわかっててこうしてその前に謝ってるんだなって。でも何か収まらなくて、もうちょっと間をおいてからがっちり泣かそうと思ったんですね。まあだいたい関係者は泣かしてるんだよね。アハハ、ス−ちゃんなんか、泣きながらオレのこと怒ったもんね。大野も泣きながら怒ってたことあったよね。他の方々は泣かされたり叱られたりして泣いてるんだけど、このお二方は泣きながら怒ったのね。すみませんね...。  

6年程前に入院した時に、もう本当にポンコツになっちゃってて、それでまあ『DOOPEE TIME 2』はステッカーになっちゃうんですけど、ちょうどそのレコーディングをしてたんですね。友達のレコーディング・スタジオで三人でね。「あと何曲だね」なんて話しながら演ってて、で、ミキシング・ルームがあって、それとちょっとしたブースがあるんですけど、ミキシング・ルームの直ぐ裏にトイレがあって、だからドアを開けるともうすぐミキシング・ルームなのね。それで小用を足したくなって、もう疲れも溜まっていたので、ぼーっとして用を足してたらズボンにビショーってやっちゃって。それでグレーのズボンをはいてたんですけど、それの片足分濡らしちゃったんです。うわぁ〜どうしようと思って... でも大野とスーちゃんだし、絶対に笑い飛ばしてくれるんだよな〜と思って甘えちゃったんですね。それで出てって「もうさぁ、オレおじいちゃんになっちゃったからさぁ、ほらこれ見て〜」ってやったら、そん時に溝を感じたんだよね。なんかさ、ひぇ〜何やってるの〜みたいな感じで言われた方がすっごい楽なんだけど、見て見ない振りされちゃったの... あァ〜、実存主義って孤独なんだよなって。 (主体を偏重しすぎた実存{主義}は、構造{主義}に於いて批判の対象となる)  まあそんなようなことなんですけど。

そう、それで間をおいてから大野さんを叱ったんですけど、そのリキッドの打ち上げをやりましょうということになって、そのつもりで出かけて行ったらサプライズで、もう何十人っていう方々がお集り下さっていて、私の還暦のお祝いの会だったんです。大野さんはニヤニヤしてて、幹事をやってくれていたんですね。もうそれこそ半年くらい前から準備をしていてくれたらしくて、2回にもわけてやってくれたんです。それでもう完全に調子が狂っちゃって、もう全部許すからって、大野さんに思わず言っちゃったんです。そしたら「私も調子が狂っちゃいますから、今までどおり厳しくして下さい」って、でもそういう熱血な感じって本当は苦手なんだけどな。





時はきちんと刻んで知らせてきた。
還暦だなんて考えてもかったど、
毎日お勤めとてたのならまた別の
感慨もあったのだろ
こち1969〜70年けて
哲学一冊、高校った。友達
読んでた。レモンエロー
装丁好きだった。今も。