(第3回アシッドテスト『実存と構造と生命体』より、楽曲の構造ー凡例3からの発言を文字起こしして校正)
(楽曲試聴後...)
これは、私が制作した1989年のいとうせいこう "MESS/AGE" というアルバムからの「メッセージ」という楽曲です。オケはカリプソ・シンガー、マイティー・スパローのアルバムからサンプリングして作った作品です。当時(1988年)このアルバムを持っていたのは、私だけだったと思うんですけど、アハハ。ミュージックマガジンでカリプソの原稿を書いてた深沢さんは持ってなかったし、故中村とうようさんも持ってなかったと思います。でもまあ、コレクターの事も考慮すると日本では多めに見積もっても五人位いたのかも知れません。それで、このお話のポイントはそのことにあるのではなくて、曲の後奏部分でピコン、ピコンと唄ってるでしょ、そのピコンっていう事のお話なんです。
カリプソというのはリズムの名称ではなくて社会風刺歌の事なんです。皮肉たっぷりに面白可笑しく日常の時事ネタを唄って笑い飛ばすというもので、その風刺の度合いをピコンといいます。支配体制との闘いの中から生まれたもので、カリプソ発祥の地トリニダード・トバゴでは、カリプソシンガーは国を代表する頭脳委員会的な位置づけにあるのです。ですから普段は学校の教師だったりする人が、年に一度のカーニバル時にはカリプソニアンとなって活躍したりします。
"MESS/AGE" は、アルバムの冒頭部分と最後の楽曲にカリプソを持って来て、核が爆発した地球の事をテーマにしようとディレクションをして、いとうさんが歌詞を創っています。
思い出はあの夜 熱にうかされ ふくらむ月
黒ずんだ空と 濁る海の色 おみやげ絵ハガキ 捨てて出てくよ
まぶしいカビがただよう夕焼け くせになりそうだった 居心地良くて
すばらしい星にさよなら 必ずまた来るよ 出来るならそれまでは
ヒトいればいいけれど
(ピコン、ピコン、ピコン)
これはその歌詞の抜粋ですが、アルバム"MESS/AGE" はそうしたことで、奥行きのあるアルバムとして上梓できたと自負しています。
それでまあ、こんどは、1992年と94年に、スティール・ドラム発祥の地でもあるトリニダード・トバコに渡って、私のソロ・アルバム "MUSIC FOR ASTRO AGE" と、ASTRO AGE STEEL ORCHESTRA 名義での "HAPPY LIVING" というアルバムを制作するのですが、それらのアルバムのキャストは、1983年に初めてトリニダードへ渡った際のリサーチで大方決めていました。
"HAPPY LIVINNG" の制作では、マイティー・スパローと並ぶ国民的ヒーローであるカリプソ・シンガー、ロード・キチナーの楽曲をカバーしています。 "Hold On To Your Man" という1964年の作品で、「スティールバンドの奴らが町にやって来る、奴らに心を奪われないようにしっかりと抱きしめて...」といった内容のロードマーチです。キチナーは特にスティール・バンドの重要なレパートリーとなるロードマーチの名曲を数多く遺した音楽家で、国の宝として庶民に圧倒的な支持を得ていました。
当初、唄はキチナーにお願いするつもりでいたんですよ。当地のブッキング・マネージャーからは、「トミタ、キチナーは一曲◯ドル出せば来てくれるよ」と言われました。その提示した額というのは、おそらく、私にオファーを断念してもらう為の方策で、それからブッキングマネージャーとの橋渡しをしてくれた、現地在住の日本人の方の面目を保つ意味もあったのでしょう。でなければ単に私からのオファーをキチナー・サイドが断ればいいだけの話ですから。それに国の宝でもある我らがヒーロー、キチナーが参加するの?と、現地のスタッフから戸惑いのような空気も感じていました。
それで、その額は当地ではそうゆうスキャンダラスな驚くような額ではあるのですが、実は、当時は私のような者でもアルバム制作費としては潤沢にあったので、可能な額だったのです。 ここでジャパン・マネーの威力をかってキチナーに唄ってもらえば、アルバムとしてはヒストリカルな作品になるのは判っていました。世界中にファンがいるのも知っていました。ただそれよりも、その額でお願いして演ってもらった場合、おそらく彼らはその事を、皮肉たっぷりに面白可笑しくカリプソにしてしまうだろうなと思ったのです。そのくらいの事は彼らカリプソニアンはするのです。めちゃくちゃ頭が良いですから。それでホテルにもどって一晩考えて頼むのをやめました。
( "Hold On To Your Man" 所収のキチナー1964年発表のアルバム。)
(1983年、ヤン富田とロード・キチナー、首都ポート・オブ・スペインにて)