聴こえてくるのは、波の音と気持ちの良い音楽… 自由奔放に生きる波乗り自然派パパ、George Cockleと、イルカを愛するナチュラルウーマン、渡辺麻耶がお届けする音楽プログラム.....
2019年8月24日土曜日
ヤン富田【9/11 BLUE NOTE 東京公演・追加情報】ジョージと渡辺麻耶さんのラジオ番組 LAZY SUNDAY PART 1 に出演しました。
聴こえてくるのは、波の音と気持ちの良い音楽… 自由奔放に生きる波乗り自然派パパ、George Cockleと、イルカを愛するナチュラルウーマン、渡辺麻耶がお届けする音楽プログラム.....
2016年11月16日水曜日
オーディオ・サイエンス・ラボラトリー (A.S.L.) について
オーディオ・サイエンス・ラボラトリー(A.S.L.)は、1989年「音楽による意識の拡大」をテーマに開設しました。これは在野の民間の研究機関です。アカデミズムや国からの助成で運営しているのではなく、職業音楽家として働き、その利益を元に研究し、そこで得たものを商業音楽に還元するという形で運営してきました。そこには協力して下さる方々の存在があることも申し添えておきます。
意識の拡大というのは、1938年にスイスのサンドス製薬の科学者アルバート・ホフマン博士によって合成された化学薬剤 LSD 25に由来します。この化学薬剤は治療薬として1966年まで、医師の処方箋があれば手に入れることの出来る合法的なものでした。一方、アメリカ中央情報局CIAは、このLSD 25の効能からこの薬剤を管理下に置き、50年代を通じて様々な実験を繰り返しその可能性を試していました。100人の画家を集め、LSDを投与している時/していない時に画を描かせたり、学生に1回の投与で美術学校4年分の効果があったという報告や、陸軍の部隊に実験したもの、自白剤としての応用から冷戦下でのスパイに対する投与、果てはエジプトのナセル大統領に対するアシッド作戦といった様々な研究が行われていました。日本では1959年に記録映画「LSDの実験」が東京医科歯科大学教授で精神科医の島崎敏樹の参加によって制作され、またラジオ番組の生放送では、被験者に詩人の谷川俊太郎、パントマイミストのヨネヤマ・ママコを迎え、島崎敏樹のもとで実験がとり行なわれました。実験では静脈注射によって投与された量が多すぎたため、被験者は放送中寝ていただけという結果に終わりました。島崎は小説家の島崎藤村の親戚にあたる人物で日本の精神医学に新風を吹き込みました。
60年代になるとこの薬剤はその効能を知った識者から徐々に広がり始め、それは「意識が拡大されてすごい人になる」といったことから、ブルジョワや政治家でもトップからそして大学教授や芸術家へと伝わり、66年に非合法薬物として全面的に禁止になると皮肉な事にドラッグ・ディーラーが介在し爆発的に広がる結果となりました。この意識拡大の一大運動は「サイケデリック」とよばれました。日本に於いては島崎敏樹の実験から68年には「サイケ」として広がり、極彩色な「サイケ」の流行は、様々な媒体からお茶の間にも進出し文化現象となりました。石原慎太郎の書き下ろし小説「L・S・D」が『文學界』2月号に掲載され、そうした同年、電子音楽の手法から派生したテープの変調やコラージュを駆使した前衛的な楽曲、フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」は270万枚を売る戦後最大のヒットを記録しました。
LSD 25は、当初、快楽を追求するためにあったのではなく、純粋に人間の可能性は一体どこまであるのだろう?という探究にあったと思います。
オーディオ・サイエンス・ラボラトリーは、ドラッグを奨励しているわけではなく、私は酒もタバコもドラッグも一切やらないつまらない奴なのですが、純粋に音楽で意識の拡大が計れるのではないか、というテーマのもとにやってきました。2013年9月10日と11月23日にNHK BS (Japan Broadcasting Corporation) にて放映された、『ヤン富田の音楽の世界 - 音楽による意識の拡大を求めて』(90分) は、その一定の成果として自負しております。また続編も予定されておりますのでいつかご覧いただけるかと願っております。
ヤン富田
「意識の拡大」に関して(2012年リキッドルーム・コンサートより)




日本科学未来館主催 ヤン富田コンサート 2009.11.28 より 撮影:グレート・ザ・歌舞伎町
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日本科学未来館コンサートのレポートはこちらです。
→ http://asl-report.blogspot.com/2009/11/20091128_5399.html
ライブ映像はこちらのリンクでもご覧になれます。
→ http://asl-report.blogspot.com/2020/09/11282009.html
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2014年7月18日金曜日
第4回アシッドテスト(7月26/27日開催)更新情報


2013年1月23日水曜日
「ピコンという名の頭脳委員会」
「ピコンという名の頭脳委員会」
(第3回アシッドテスト『実存と構造と生命体』より、楽曲の構造ー凡例3からの発言を文字起こしして校正)
(楽曲試聴後...)
これは、私が制作した1989年のいとうせいこう "MESS/AGE" というアルバムからの「メッセージ」という楽曲です。オケはカリプソ・シンガー、マイティー・スパローのアルバムからサンプリングして作った作品です。当時(1988年)このアルバムを持っていたのは、私だけだったと思うんですけど、アハハ。ミュージックマガジンでカリプソの原稿を書いてた深沢さんは持ってなかったし、故中村とうようさんも持ってなかったと思います。でもまあ、コレクターの事も考慮すると日本では多めに見積もっても五人位いたのかも知れません。それで、このお話のポイントはそのことにあるのではなくて、曲の後奏部分でピコン、ピコンと唄ってるでしょ、そのピコンっていう事のお話なんです。
カリプソというのはリズムの名称ではなくて社会風刺歌の事なんです。皮肉たっぷりに面白可笑しく日常の時事ネタを唄って笑い飛ばすというもので、その風刺の度合いをピコンといいます。支配体制との闘いの中から生まれたもので、カリプソ発祥の地トリニダード・トバゴでは、カリプソシンガーは国を代表する頭脳委員会的な位置づけにあるのです。ですから普段は学校の教師だったりする人が、年に一度のカーニバル時にはカリプソニアンとなって活躍したりします。
"MESS/AGE" は、アルバムの冒頭部分と最後の楽曲にカリプソを持って来て、核が爆発した地球の事をテーマにしようとディレクションをして、いとうさんが歌詞を創っています。
思い出はあの夜 熱にうかされ ふくらむ月
黒ずんだ空と 濁る海の色 おみやげ絵ハガキ 捨てて出てくよ
まぶしいカビがただよう夕焼け くせになりそうだった 居心地良くて
すばらしい星にさよなら 必ずまた来るよ 出来るならそれまでは
ヒトいればいいけれど
(ピコン、ピコン、ピコン)
これはその歌詞の抜粋ですが、アルバム"MESS/AGE" はそうしたことで、奥行きのあるアルバムとして上梓できたと自負しております。
それでまあ、こんどは、1992年と94年に、スティール・ドラム発祥の地でもあるトリニダード・トバコに渡って、私のソロ・アルバム "MUSIC FOR ASTRO AGE" と、ASTRO AGE STEEL ORCHESTRA 名義での "HAPPY LIVING" というアルバムを制作するのですが、それらのアルバムのキャストは、1983年に初めてトリニダードへ渡った際のリサーチで大方決めていました。
"HAPPY LIVINNG" の制作では、マイティー・スパローと並ぶ国民的ヒーローであるカリプソ・シンガー、ロード・キチナーの楽曲をカバーしています。 それは "Hold On To Your Man" という1964年の作品で、「スティールバンドの奴らが町にやって来る、奴らに心を奪われないようにしっかりと抱きしめて...」といった内容のロードマーチです。キチナーは特にスティール・バンドの重要なレパートリーとなるロードマーチの名曲を数多く遺した音楽家で、国の宝として庶民に圧倒的な支持を得ていました。
当初、唄はキチナーにお願いするつもりでいたんですよ。当地のブッキング・マネージャーからは、「トミタ、キチナーは一曲◯ドル出せば来てくれるよ」と言われました。その提示した額というのは、おそらく、私にオファーを断念してもらう為の方策で、それからブッキングマネージャーとの橋渡しをしてくれた、現地在住の日本人の方の面目を保つ意味もあったのでしょう。でなければ単に私からのオファーをキチナー・サイドが断ればいいだけの話ですから。それに国の宝でもある我らがヒーロー、キチナーが参加するの?と、現地のスタッフから戸惑いのような空気も感じていました。
それで、その額は当地ではそうゆうスキャンダラスな驚くような額ではあるのですが、実は、当時は私のような者でもアルバム制作費としては潤沢にあったので、可能な額だったのです。 ここでジャパン・マネーの威力をかってキチナーに唄ってもらえば、アルバムとしてはヒストリカルな作品になるのは判っていました。世界中にファンがいるのも知っていました。ただそれよりも、その額でお願いして演ってもらった場合、おそらく彼らはその事を、皮肉たっぷりに面白可笑しくカリプソにしてしまうだろうなと思ったのです。そのくらいの事は彼らカリプソニアンはするのです。めちゃくちゃ頭が良いですから。それでホテルにもどって一晩考えて頼むのをやめました。
( "Hold On To Your Man" 所収のキチナー1964年発表のアルバム。)
(1983年、私とロード・キチナー、首都ポート・オブ・スペインにて)
YANN AND LORD KITCHENER, Port of Spain, Trinidad 1983
2013年1月22日火曜日
「生命体に於いて、食べなくていいということは、自由だということ、そして革命的だということ」
『生命体に於いて、食べなくていいということは、自由だということ、そして革命的だということ』
(第三回アシッドテスト『実存と構造と生命体』より、「A.S.L. の動向」からの発言を文字起こししたものを校正)
それではですね、ちょっとお話にもどって、「A.S.L. の最近の動向」ということで。私、昨年の暮れに入院してました。12月の中旬から。年末の28日には退院出来たんですけど、食べ過ぎちゃって腸閉塞になっちゃたんです。腸の処が詰まっちゃって。妻が白菜と豚バラの鍋のひき肉バージョンをつくってくれたのがすごく美味しくて、もうリクエストして5日間のうち3日間くらい、そのバリエーションでシラタキだなんだとかで猛烈に食べちゃったんです。子供の分にとっておいた分とかも食べちゃって。それでちょうどお歳暮の時期で、私が好きなものを贈っていただいてるので、もう好きなチョコレートだとかお煎餅だとかのお菓子で間食もしまくって、食べて食べて、あの猿にオナニー教えるとそればっかりしちゃうっていうのあるでしょ、あのような状態なわけ。で、もう中途半端なのがいやなのね、だってつまんないでしょ。でも妻は「少しづつ食べたら良いんじゃない」とか言うんだけど、好きなものは飽きるまで食べちゃって次何食べようかな~みたいなのが幸せかなっていう感じだったんですけど。そんな事してたら胃と腸が壊れちゃって機能しなくなっちゃってたんですね。もう全部スルー状態で、だから幾らでも食べれる状態になって、で、調子にのってやってたら、ある時腸のなかで詰まっちゃって、明け方近所の病院に入院する事になったんです。
それはもう本当に死ぬかと思うぐらいに大変だったんですけど、関係各位には 1月20日のアシッドテストはもう無理だからってお電話して、ご迷惑をおかけしちゃうんで。そしたらもう大騒ぎになっちゃって。それで次の日になったらケロっとしちゃって、点滴が効いてるから元気になったんですね。それでサポートして下さってる windbellの富田さんとか松永さんとかいろいろな方がおられるんですけど、松永さんに電話したら、朝の10時頃だったんですが、すでに電車に乗って富田さんとこちらに向かっているところで、それで電話にでて「あっ、息子さんですか?」とか言われて、前日の電話で死にそうな声で「ダメだと思う」って言ってたから、「いやオレだよ、1月20日は演るからさ、今日来なくてもいいから」って言って、もう本当に本当に最低な奴なんですけど。まあそうしたことで。
私の作品の中に『フォーエバー・ヤン・ミュージック・ミーム 4 変奏集』というのと『サマー・ワークショップ 電子音楽篇』というDVD があるんですが、どちらもCCRE という会社から発売する事ができて、でも直ぐに倒産しちゃったんです。それで在庫が債権者に渡りまして、アマゾンなんかでは『変奏集』は千円しない価格でまだ買えるんです。これ絶対に買っておいた方が良いと思います。私が潤うわけではないのですが、CD と DVD と本がセットになっていて、本は110頁程あって、私の拙著『フォーエバーヤン・ミュージック・ミーム1』の続編的なものになってます。こうした物はなかなか作れる物じゃないんですね。観たり聴いたり読んだりして、ワクワクしたいと思うのでしたらこれは保証します。それに『DOOPEE TIME 2』が作品としてステッカーになっちゃったお話が入っていて勿論そのステッカーも付いてます。「なんだ『DOOPEE TIME 2』作ってるとかいうから待ってたら、ステッカーなんだ」とかそうゆう風に言われちゃうと、もうすみませんて謝るしかないんですけど、でも何か、「あぁ~ DOOPEE TIME 2 ってステッカーだったんだ~」っていう新鮮な驚きのあるセンスを受け入れてくれると嬉しいな~とは思うんです。なにかぎすぎすしてなくて良いじゃない、「え~CD じゃないんだ」とか言われても、そんな当たり前の物じゃないんだよね。だってもともと当たり前の様なことはやってきてないんだから。
それで、その本の中に以前病院に入院した時のお話があって、看護婦さんにモテちゃったのね。その時もいろんな方がお見舞いに来て下さって、ある時、お客様が帰っていったら看護婦さんが飛んできて「いまお見えになっていたのは須永辰緒さんですよね」って言うから「えっ、なんでそんなこと知ってるの?」って訊いたら「あの私、*オルガンとか行くんですよ、富田さんのことも知ってるんですよ。」(* 渋谷、宇田川町にあるクラブ、オルガン・バーのこと)って、えぇ~、それでもうカッコつけてもダメだなと思って、すでに座薬とか入れられまくってたから。とても素敵なお嬢さんで、何か気が合う感じがあったんですよね。そしたら暮れに入院した時は6年ぶりの入院だったんですけど、その看護婦さんはちょっと偉くなっていてですね外来の化学療法の担当になってました。なんでも聞くところによると、一週間の内にカルテが廻って来て誰が入院してるか判るシステムになっているんですね、それである夕方、その看護婦さんが病室にひょっこり顔をだしてくれて、「富田さん、大丈夫ですか」って、「うわぁ~、どうもその節は」って、私にとっては命の恩人のような方ですから、それで「昨年のリキッドルーム行ったんですよ、あんなに長い時間おやりになって、元気になられて本当に良かったです」って言われてもう泣きそうになりました。それでそんなこともあって、退院も決まった頃には元気になって病院内を散策してました。もともと機材を見るのが好きで、そうしたことが私の創作に反映するんですが、特に医療機器は先端技術なのでいろいろと見て廻ったりしてました。その日は土曜日の夕方でひと気もなくて、入院してからは、こんどは黒酢のドリンクばっかり飲んじゃってて、アハハ、はまっていたんですね。病室の在庫が切れたので売店にもよって、それで病室にもどろうとしてたら、ばったりあの看護婦さんと出くわしたんです。大きな総合病院なんですが、その時はがら~んとしてて人影もなかったんです。あ~何かご縁があるのかな?と思ったのですが、深入りするのはヤメようと思ってご挨拶だけすませてもどりました。
まあ、オーディオ・サイエンス・ラボラトリーの近況は、このようなことで... あの「生命体」ということで命に関わることで、こうしたお話でいいでしょうか?「実存と構造と生命体」ということで。何か小難しい事を言っちゃってもね、カッコわるいじゃん。
人間 (生命体)ってやっぱり、食べなくちゃいけないっていう事が最大の弱点なんですよね。だから腸が詰まっちゃってる最初の10日間くらいは食事が出来ないから全て点滴なんです、ですから食べなくていいでしょ。それはね本当に体験してみるとすごいことなんです。食べる事を考えなくてもいいということはとても自由な感じがするの。うゎって思って、食べる事って大事じゃないですか、箸を使って食べたり、お昼はパンにしようかな?とか、そういった事も一切考えなくてすむのね。あれが食べたいとかこれが食べたいだとか思わないの、お腹も全然空かないし。点滴は腕からだと血管が細いからボロボロになるんだけど、首の太い血管からだと栄養をがんがん入れられるから、だから全然元気なわけ。これはもう本当に凄い体験でした。食べるっていうことは弱点でもあって、まあ楽しみでもあるんですけれど、そうゆう様なことで。
追記。
入院中のこの体験は、どんな革命思想よりも鮮烈でした。
食べなくていいということは、食べる心配をしなくていいということで、つまり働かなくていいということだ。入院中の処方によって感じた束の間の自由で強烈な解放感はその事にもあったのだ。そんな事してたら食っていけなくなるぞとか、食っていく為の労働の対価だとか、もうそんな事は考えなくても済む世界。そうゆう生命体だとするならば、もはや政治や宗教や、その他全て私達人類に課せられた全システムから、私達は無限の彼方へ解き放たれるのだ。それは死後の世界と通低しているのかもしれない。
追記2。
ドラッグ体験といわれれば、そうなのですが...
まぁ意識が拡大しちゃってるんですね。
追記3。
以前凄いお金持ちの知り合いが私の悩みは生きがいを見つけることと言っていたのを思い出す。

ステッカーだった ”DOOPEE TIME 2"
『フォーエバー・ヤン・ミュージック・ミーム 4 変奏集』
http://asl-report.blogspot.jp/2008_04_01_archive.html
『ヤン富田のサマー・ワークショップ 電子音楽編』
http://asl-report.blogspot.jp/2008/08/blog-post.html
2013年1月21日月曜日
「実存は孤独なのだ!」
6年程前に入院した時に、もう本当にポンコツになっちゃってて、それでまあ『DOOPEE TIME 2』はステッカーになっちゃうんですけど、ちょうどそのレコーディングをしてたんですね。友達のレコーディング・スタジオで三人でね。「あと何曲だね」なんて話しながら演ってて、で、ミキシング・ルームがあって、それとちょっとしたブースがあるんですけど、ミキシング・ルームの直ぐ裏にトイレがあって、だからドアを開けるともうすぐミキシング・ルームなのね。それで小用を足したくなって、もう疲れも溜まっていたので、ぼーっとして用を足してたらズボンにビショーってやっちゃって。それでグレーのズボンをはいてたんですけど、それの片足分濡らしちゃったんです。うわぁ〜どうしようと思って... でも大野とスーちゃんだし、絶対に笑い飛ばしてくれるんだよな〜と思って甘えちゃったんですね。それで出てって「もうさぁ、オレおじいちゃんになっちゃったからさぁ、ほらこれ見て〜」ってやったら、そん時に溝を感じたんだよね。なんかさ、ひぇ〜何やってるの〜みたいな感じで言われた方がすっごい楽なんだけど、見て見ない振りされちゃったの... あァ〜、実存主義って孤独なんだよなって。 (主体を偏重しすぎた実存{主義}は、構造{主義}に於いて批判の対象となる) まあそんなようなことなんですけど。
そう、それで間をおいてから大野さんを叱ったんですけど、そのリキッドの打ち上げをやりましょうということになって、そのつもりで出かけて行ったらサプライズで、もう何十人っていう方々がお集り下さっていて、私の還暦のお祝いの会だったんです。大野さんはニヤニヤしてて、幹事をやってくれていたんですね。もうそれこそ半年くらい前から準備をしていてくれたらしくて、2回にもわけてやってくれたんです。それでもう完全に調子が狂っちゃって、もう全部許すからって、大野さんに思わず言っちゃったんです。そしたら「私も調子が狂っちゃいますから、今までどおり厳しくして下さい」って、でもそういう熱血な感じって本当は苦手なんだけどな。

読んでた。このレモン・イエロー
の装丁が好きだった。今も。
2012年9月24日月曜日
オーディオ・サイエンス・ラボラトリー と意識の拡大に関して
(ヤン富田コンサート・リキッドルーム 2012.9.22 に於ける発言から文字起こししたものを校正)
え~と、此処にあるんですけど、これ「意識ほぐし機」と命名したもので。これはもともと医療の現場で放射線治療の際に被爆線量を計るための機器だったものを改良した光線銃なんですね。LED の点滅信号と音が連動してまして、私はこれを被験者に照射させる事によって意識をほぐしていこうとアレンジして使用しています。
オーディオ・サイエンス・ラボラトリーは1989年に「音楽による意識の拡大」をテーマに開設して、今年で23年目になります。意識の拡大というのは、1960年代に化学薬剤のLSD-25 というのがあって、1937年にスイスのサンドス製薬の科学者アルバート・ホフマン博士によって開発されたものなんです。60年代にはそのLSD を処用して意識の拡大を計ろうという一大運動になって、それはサイケデリックという運動だったんですけど、当初は意識が拡大して凄い人になっちゃうわけだから、いわゆるブルジョワから政治家等、トップのほうからその薬を試していったんです。大学教授や芸術家、果ては陸軍の部隊にまで。例えば100人の画家を集めて、LSD を所用している時としてない時に絵をかかせて、どちらが素晴らしい絵を描くか? とか、1回の所用で美術学校4年分の効果があったとか、そういった様々な実験が国の機関 (主にCIA/アメリカ中央情報局) の主導によって行われていました。
日本では東京医科歯科大学教授で精神科医の島崎敏樹 (小説家、島崎藤村の親戚にあたる)によって、1959年に記録映画『LSDの実験』が制作されて、また文化放送の生放送では被験者にLSD を投与してどうゆう状態になるのか?といった放送があったんです。被験者は谷川俊太郎さんで、島崎俊樹は処方を倍量にしたために、なにがなんだかわからないまま生放送中寝てたっていう、アハハ。それでまあそういったようなことがあって、それから世界中で規制が入って、1966年には LSD は全面的に非合法になってました。当初は快楽を追求するための目的でそういったものがあったのではなくて、もっと純粋に人間の可能性を計る、拡大するといったような事だったんです。でも危険な麻薬ということになっていけないものだというふうになっていったんです。私は麻薬を奨励しているわけではなくて、酒もタバコも博打もやらない本当につまらない奴なんですけど、勿論ドラッグもやらなくて、それで、そうしたものを使わなくても音楽で意識の拡大を計ることができるんじゃないかと、そうしたテーマのもとにやってきました。
意識ほぐし機の音をちょっと出してみますね.....
あの~...このウンワカ、ウンワカ鳴ってる感じが意識をほぐしてるの。すごく簡単なの。(客席から、エ~?という声)簡単じゃん、あのね、例えば音楽聴く時に馴染みのないものだとか、わけのわからないものだとかに接した時に、その人の音楽体験の中で一番難解だったものの物差しをあてて判断しようとするでしょ。たとえばロックを沢山聴いて来た人には多いんだけど、だいたいフランク・ザッパなんだよね。でもね、その物差し私のに当てても通用しないから、アハハ。自分で言っちゃいけないんだけど、あの本当にそうなんです。で、そうしたことを今日は全く置いて、もうなすがままに意識を置いておくと、何かとっても良いことが起こると思います。ですからそういった前向きな方向でお願いしたいです。だってせっかくお越しいただいたんで、こうしたものをみんなで、ちょっと聴くとふざけた音なんですけど、皆さんと聴いてるこの感じは絶対にカッコ良いから。それはもう本当に信じてもらっていいから、で、悪いようにはしないから。
それではですね、この意識ほぐし機を使って、あとはこの脳みそ解砕機っていって、これは脳みそをほぐすんですけど、この二つを使って『意識ほぐし機による意識の拡張療法』を、私、無免許なんですけど施術をしたいと思います。それではその被験者にHIPHOP最高会議の千葉隆史くん、どうぞ。そして助手に大野由美子、配線助手に DUB MASTER X 。これからセッティングに入ります。こうした音楽はセッティングから音楽が始まっているんですよ。開き直ってるわけじゃなくて。その過程があって...。だってここで行おうとしてる音楽は、音楽産業の中でのヒット曲のベルトコンベアーに乗っけて、ハイ、一丁上がりという風にはやってないので、セッティングも手間もかかるんです。ですからそこは皆さんのフォローも必要ということで、今日はこうした形で演っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。それから緑の点滅信号の余韻を注視していくと、女性の方には発作を起こす人もいたりするので、そこは自己責任ということでお願いします。あと刷り込みが入っちゃうんで、何が何だかわからないまま家に帰って、日常の中でふと閃いちゃうことがあるかも知れません。ですから今の内だと思うんですよね。光線がモニター(ライブ・カメラのモニター)に映って皆さんも体験しちゃいますから。体験した後、体験する前のあの時の自分にもどりたいな~って思ってもだめだから、アハハ、でも悪いようにはしないからということでだいじょーぶです。
それでは。グゥウィ~ン.......
「意識の拡大」に関連した著述として、RELAX 誌 2004年2月号 に上梓した「ビート禅ーそのアーカイヴとアラン・ワッツ及びラモン・センダーのサブ・ストーリー」 がある。A.S.L. アーカイヴから音源、書籍、等々の紹介と歴史をたどりながらの集成。



Alan Watts "This Is It"
MEA LP-1007 (1962)
ビートニクからヒッピーと時代は変遷し、ワッツは禅による自己の知覚への探究、そしてサイケデリックから東洋の瞑想へと受け継がれた知覚の体験の先導者として常
にシーンを体現した。LSD 体験によって制作されたレコードは、1965~66年にかけて集中的に発表されたが、62年の『This Is It』は、そういったサイケデリック・アルバムの中で世界で最初にリリースさたものだった。
(ビート禅アーカイヴより抜粋。)
レコードは、ワッツの息子、マーク・ワッツから直接入手した思い出深いもの。
関連する事項としてこちらも。
http://asl-report.blogspot.jp/2011/12/blog-post.htmlhttp://asl-report.blogspot.jp/2011/04/art-for-all-7.html
こちらはその「ビート禅」所収の拙著『フォーエバー・ヤン』(2006年 アスペクト刊)




